7 頭脳に血が集まりすぎた社会

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第7章 頭脳に血が集まりすぎた社会

――巨大な頭と、衰弱した身体

前章6 身体の仕事は止められないでは、
「止められない身体」に
負荷が集まり続ける構造を見てきた。

この章では視点をさらに引き、
その背後にある
経済全体のバランスの崩れ
について考えたい。


人体を思い浮かべてみる。

脳があり、
心臓があり、
血が巡り、
筋肉や内臓が働く。

どれか一つが欠けても、
生命は成り立たない。

重要なのは、
配分だ。


もし脳にだけ血が集中し、
末端に血が回らなくなったら、
どうなるか。

思考は冴えているのに、
手足は冷え、
内臓は弱り、
やがて全身が動かなくなる。

これは、
生物として明らかに
不健康な状態だ。


いまの社会を、
この人体に重ねると、
似た光景が見えてくる。

頭脳にあたる部分――

  • 設計
  • 管理
  • 金融
  • プラットフォーム
  • 投資

ここに、
血=お金が
過剰に集まっている。


一方で、
身体にあたる部分――

  • 運転
  • 介護
  • インフラ
  • 製造
  • 現場労働

には、
必要な血が
十分に回っていない。

止められない仕事ほど、
慢性的な貧血状態にある。


この逆転は、
偶然ではない。

経済の中で、
「価値」が
どのように定義されてきたか
と深く関係している。


近代以降、
価値は次第に、

  • 作ること
  • 支えること

よりも、

  • 決めること
  • 管理すること
  • 所有すること

に結びついてきた。

誰が働いたかより、
誰がルールを持っているか。


仕組みを作り、
その出口に立てば、
自分が身体を動かさなくても、
他人の身体が動くたびに
お金が流れ込む。

利子。
株。
プラットフォーム。

これは、
「何も生み出していない」
という意味ではない。

だが、
生み出された価値と、
報酬の位置が
切り離されている

という意味では、
極めて特徴的だ。


イーロン・マスク、
ジェフ・ベゾス、
マーク・ザッカーバーグ、
孫正義。

彼らは、
自分の身体で
現場を回しているわけではない。

だが、
現場で生じるすべての差分の上に、
位置している。


この構造が強化されると、
何が起きるか。

  • 血はさらに脳に集まる
  • 身体はさらに消耗する
  • 不調は現場の努力で隠される

そして、
限界に達したとき、
突然、社会が止まる。


重要なのは、
これは誰かの悪意ではない、
という点だ。

効率を追い、
最適化を進めた結果、
そうなった。

だが、
効率が良いことと、
持続可能であることは別

だ。


身体が支えられていない社会は、
いずれ必ず、
自分の重さを支えきれなくなる。

どれほど賢くても、
どれほどお金があっても、
道路が壊れ、
人が運べず、
介護が止まれば、
社会は機能しない。


ここまで見てきたように、
頭脳が優遇され、
身体が消耗する構造は、
制度と経済の中で
強化され続けてきた。

次章8 最適配分という視点では、
この構造を
「頭脳 vs 身体」という
対立の話にせず、

どうすれば最適な配分に
戻せるのか

という視点から考えていく。

問題は、
どちらが偉いかではない。

問題は、
血がどこに、
どれだけ巡るべきかだ。

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