3 制度設計と責任の所在

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第3章 制度設計と責任の所在

――「着服できる構造」は、なぜ選ばれたのか

前章2 バス運転手という仕事のリアリティでは、
バス運転手という仕事が、
どれほど身体と神経に負荷をかける職業かを見てきた。

ここからは視点を変え、
個人ではなく、制度の側に立って考えてみたい。

今回の事件で起きた行為――
運賃の一部を着服するという行為――は、
なぜ「可能」だったのか。

この問いは、
「なぜその人が悪いことをしたのか」
という問いとは別のものだ。


まず事実として、
運賃は現金で扱われていた。

硬貨は運賃箱に入れ、
紙幣は運転手が直接受け取る。

この仕組みは、
長年、全国の多くの路線バスで
採用されてきた。

つまりこれは、
例外的な運用ではない。
制度として選ばれてきた形だ。


では、
なぜこのような仕組みが残ってきたのか。

理由は、
驚くほど単純だ。

コストがかからないからである。

  • 完全自動化しない
  • 二重チェックを入れない
  • 監視システムを強化しない

そうすれば、
導入費も維持費も抑えられる。

人手も増やさずに済む。

結果として、
運行コストは下がる。


ここで重要なのは、
この判断が
「善意」や「信頼」だけで
行われているわけではない、
という点だ。

制度設計の段階で、
当然、こうした可能性は想定されている。

「抜こうと思えば抜ける」
「ミスや不正がゼロにはならない」

それでもなお、
コストと利便性を天秤にかけて、
この形が選ばれてきた。


セルフレジを思い浮かべると、
分かりやすい。

セルフレジでは、
万引きや操作ミスが一定数起きる。

それは、
導入前から分かっている。

それでも、

  • 人件費削減
  • 回転率向上
  • 利便性

と引き換えに、
ある程度のロスを織り込んで
導入される。

誰も、
「万引きが一件も起きない」
とは思っていない。


路線バスの運賃制度も、
本質的には同じだ。

不正が起きる可能性を
ゼロにしない代わりに、
コストを抑え、
運行を成立させる。

これは、
制度としての合理的判断である。

少なくとも、
そう判断されてきた。


ここで整理しておきたいのは、
制度が合理的であることと、
個人の不正が許されることは、
まったく別だ

という点だ。

着服は、
許される行為ではない。

だが同時に、
「起きうる行為」を含んだ制度を
選び続けてきた責任が、
制度側に存在することも、
また事実である。


本来であれば、
逸脱が起きたときの責任は、
二層に分けて考えられるべきだ。

  • 個人の行為としての責任
  • 制度設計としての責任

しかし現実には、
この二つは分けられないまま、
個人の側に集中する。

制度は、
あたかも中立で、
無垢であったかのように
扱われる。


結果として起きるのが、
こうした構図だ。

  • コストを抑える判断は
    制度側が行う
  • リスクが顕在化した瞬間
    個人だけが裁かれる

設計は見えなくなり、
行為だけが拡大される。


ここまでを踏まえると、
今回の事件は、
「想定外の裏切り」ではない。

むしろ、
想定されたリスクが、
たまたま表に出た

という側面を持っている。

それにもかかわらず、
責任の議論が
個人の信頼や倫理の話に
一気に集約されてしまうと、
制度そのものは検証されない。


制度が検証されなければ、
同じ構造は残り続ける。

着服を防ぐ仕組みは変わらず、
現場の負荷も変わらない。

その一方で、
「見せしめ」のような厳罰だけが
強化されていく。

これは、
問題解決ではない。


次章4 退職金の構造的混線では、
この「個人に集中する裁き」が、
退職金という制度の中で
どのような歪みを生んでいるのか

を見ていく。

功労、信頼、将来保障。
本来は別々であるはずの要素が、
どのように一つに混線しているのか。

そこを丁寧にほどいていきたい。

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