現代文のN先生 ー第2話ー

それは、あとから効いてくる先生だった

誤解のないように言っておくと、
当時の私は、現代文が特別できなかったわけではない。

通っていたのは進学校で、
成績としては学年の上位二割には入っていたと思う。
少なくとも、「国語が苦手な生徒」という自己認識はなかった。

問題は、そこではなかった。

授業中、ずっと分からなかったのは、
「何を答えればいいのか分からない」
という種類の苦しさだった。

文章は読めている。
設問の意味も、日本語としては分かる。
それでも、
どこを、どう切り取って、
どんな言葉で返せばいいのかが、見えない。

その状態で、
教室の空気が一瞬、張り詰める。

「じゃあ、出席番号順で当てていきます」

名前を呼ばれる前から、
心臓が早鐘を打ち始める。
当てられたくない。
怖い。
逃げ場がない。

机に座ったまま、
体だけが先に反応している。

そして実際に当てられると、
頭が、真っ白になる。

自分が何を言っているのか、
自分でもよく分からない。
言葉が、口から落ちていく感覚だけが残る。

あとから振り返っても、
「何と格闘していたのか」
「何を問われていたのか」
はっきりとは思い出せない。

ただ、
何かを絞り出さなければならない
という圧だけが、そこにあった。

当時は、
逃げ道がなかった。

今なら、
分からなければネットで検索するのだろう。
誰かの分かりやすい解説を読んで、
「それっぽい答え」を用意することもできる。

でも、あの頃は違った。

文章を読んでも、読んでも、
腑に落ちない。
答えが見つからない。

それでも、
沈黙は許されない。

その「分からなさ」と、
そのまま向き合わされる時間が、
私は正直、つらかった。

だから当時、
その先生の授業が「分かりやすい」とは到底思えなかったし、
「いい先生だ」と評価する余裕もなかった。

それでも今になって、
ふと思うことがある。

あのときの苦しさは、
理解力の問題ではなかったのではないか。

むしろ、
「まだ使いどころのない問い」を、
 先に渡されていた

という状態に近かったのではないか。

人生が単線で、
正解が一つだと思えていた頃には、
あの問いは、重すぎた。

時間が経ち、
選択肢が増え、
正解が消え、
「どこにも答えが書かれていない場面」に
立たされるようになって、
はじめて、

「ああ、
 あれは、こういうときの話だったのか」

と、遅れて効いてくる。

教育というものがあるとすれば、
それは、
その場で理解されることだけを
目的としたものではないのかもしれない。

当時は分からず、
評価もできず、
ただ苦しかった。

それでも、
人生のある地点で、
静かに作用し始めるものがある。

その先生は、
「すぐに使える答え」を
用意してくれる人ではなかった。

だからこそ、
当時の私は、
あれほど息苦しかったのだと思う。

そして今になって、
その息苦しさの正体が、
少しだけ見えてきている。

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