――なぜ人は「どなたか」と言ってしまうのか
1. 名指ししない依頼は、本当に「配慮」なのか
「どなたかお願いできますか?」
「お時間ある方、対応可能でしょうか?」
この言い回しは、多くの場合、
丁寧で、配慮のある表現として使われる。
名指しすると相手にプレッシャーを与えるかもしれない。
断りにくくさせてしまうかもしれない。
だから、あえて全体に向けて聞く。
一見すると、とても優しい判断に見える。
しかしこの行為は同時に、
依頼する側自身を守るための技法にもなっている。
2. 名指しが伴う「三つのリスク」
人が名指しを避ける理由は、
単なる思いやりだけではない。
名指しには、以下のリスクがある。
① 断られるリスク
名指しで依頼すれば、
相手が「できません」と言う可能性がある。
その瞬間、
- 自分の依頼は失敗した
- 次の手を考えなければならない
という責任が、再び自分に戻ってくる。
② 関係性が揺らぐリスク
断られたとき、
- 気まずくなる
- 関係がぎくしゃくする
- 自分が悪者になった気がする
そうした感情的コストを負う可能性がある。
③ 自分が「管理者」になるリスク
名指しをするということは、
- 誰に何を頼むかを判断した
- 責任の所在を明確にした
ということでもある。
つまり、
場を回している主体が自分であると認める行為だ。
多くの人は、ここを無意識に避けたがる。
3. 「全体化」という安全装置
そこで使われるのが、
名指し回避=全体化という技法である。
全体に向けて依頼すれば、
- 誰かが拾ってくれるかもしれない
- 断られても自分は断られていない
- 場が動かなければ「仕方ない」と言える
責任は、
「依頼した自分」ではなく、
「反応しなかった場」に溶けていく。
これは、
失敗しない依頼の形であると同時に、
責任を引き受けない依頼の形でもある。
4. 無自覚な計算式
名指し回避の背後には、
次のような無意識の計算がある。
誰かがやってくれたらラッキー
誰もやらなくても、自分のせいではない
名指ししなければ、角は立たない
この計算は、
短期的にはとても合理的だ。
しかしこの合理性は、
特定の人の共感性や責任感を前提にした合理性でもある。
5. 名指し回避が生む「非対称性」
全体化された依頼は、
集団の全員に同じ重さで届くわけではない。
- 空白に気づかない人 → 何も感じない
- 気づいても放置できる人 → スルーする
- 気づいてしまう人 → 動くしかなくなる
ここで、構造的な非対称性が生まれる。
依頼側は安全なまま、
受信側の一部だけが負荷を引き受ける。
この非対称性が繰り返されると、
- 動く人は固定化され
- 動かない人は「普通」になり
- 場は回っているように見える
結果として、
依頼側は自分が何に依存しているかを見失う。
6. 名指しは「支配」ではなく「主権の明示」
名指しは、冷たい行為ではない。
むしろ、
- 相手に断る自由を与え
- 交渉を可能にし
- 責任の所在を透明にする
という点で、
相互の主権を尊重する行為である。
名指しを避け続ける場では、
- 誰も命令していないのに
- 誰も断っていないのに
- 誰かが疲弊していく
という、もっと歪んだ状態が生まれる。
7. 依頼側が自覚すべきこと
名指し回避は、
「悪い人」の技法ではない。
むしろ、
- いい人でありたい
- 波風を立てたくない
- 責任を背負うのが怖い
という、ごく普通の心理から生まれる。
だからこそ重要なのは、
自分が依頼するときに、
- この依頼の責任は誰が持つのか
- 断られた場合、次に何をするのか
- 場を回しているのは誰なのか
を、自分自身に問い直すことだ。
終わりに
「どなたか」という言葉は、
とても便利で、とても優しい響きを持つ。
しかしその裏で、
- 責任が霧散し
- 共感性の高い人が消耗し
- 場が静かに歪んでいく
ことがある。
名指しを避けることは、
時に、相手を守る行為ではなく、
自分の不安を隠す行為になってしまう。
名指しとは、
支配ではない。
覚悟の表明である。