――なぜ「どなたか」が一番しんどい人に刺さるのか
1. 「全体に向けた依頼」は、なぜ安全そうに見えるのか
グループLINEや職場、コミュニティでよく見かける表現がある。
- 「どなたか対応できますか?」
- 「この件、把握している方いますか?」
- 「時間のある方、お願いします」
名指しはしていない。
攻撃的でもない。
一見すると、とても配慮された言い方に見える。
しかしこの表現は、責任の所在を“消去”する技法でもある。
誰に頼んでいるのかが曖昧であるがゆえに、
「頼んだ側」は断られるリスクを負わない。
同時に、「頼まれた側」も明確には存在しないことになっている。
このとき、責任は個人ではなく、
場全体に霧のように拡散される。
これが、責任分散の始点だ。
2. 責任分散が生む「見えない圧力」
責任が分散されると、
理論上は「誰もやらなくてもいい」状態が生まれる。
しかし現実には、そうならない。
なぜなら、集団の中には必ず
- 空白を先に察知する人
- 場の停滞を不快に感じる人
- 「このままだと困る」を具体的に想像できる人
が存在するからだ。
責任が宙に浮いた瞬間、
それを最も高解像度で感知できる人に、
見えない圧力が集中する。
誰も名指ししていないのに、
「自分が動かなければならない気がする」
この感覚こそが、
全体ハラスメントの中核にある体験である。
3. 全体ハラスメントとは何か
全体ハラスメントとは、
特定の個人を名指しせず、
集団全体に向けた言葉によって、
実質的な負担を一部の人に集中させる構造
のことを指す。
重要なのは、
これは多くの場合無自覚に行われるという点だ。
- 悪意はない
- 攻撃しているつもりもない
- むしろ「配慮している」と感じていることすらある
しかし結果として、
- 責任を引き受けやすい人
- 共感性の高い人
- 場を壊したくない人
が、繰り返し前に出ることになる。
その人が動き続ける限り、
周囲は「問題は解決されるもの」と学習してしまう。
こうして、負担はインフラ化する。
4. 責任分散と共感性搾取の接続点
全体ハラスメントは、
単独では完結しない。
それはしばしば、
共感性搾取という構造と結びつく。
- 責任を分散する場
- 共感性の高い個人
- 感謝や評価のフィードバック不在
この3点が揃うと、
「善意で動いている人が、
無自覚のうちに削られていく場」
が完成する。
誰かが命令したわけでもなく、
誰かが支配しているわけでもない。
それでも結果として、
一方向の消耗だけが蓄積していく。
5. なぜ「名指し」が重要なのか
名指しは冷たく感じられることがある。
しかし、構造的には逆だ。
名指しは、
- 責任の所在を明確にする
- 断る自由を与える
- 代替案を交渉可能にする
という、主権を可視化する行為でもある。
「Aさん、この件お願いできますか?」
と聞かれたとき、
- Aさんは「できない」と言える
- その瞬間、責任は再び場に戻る
- 次の選択肢が具体的に検討される
全体化された依頼には、この逃げ道がない。
だからこそ、
名指しを避け続ける場では、
最も誠実な人が沈んでいく。
6. 境界線を引くという選択
全体ハラスメントの被害に遭った人が、
よく自分を責める。
- 気にしすぎたのではないか
- 勝手にやった自分が悪いのではないか
- 嫌なら断ればよかったのではないか
しかし問題は、
個人の弱さではない。
責任を分散しすぎる場の設計と、
共感性の高い人間の存在が噛み合った結果だ。
だから、
- 名前をつけること
- 構造として理解すること
- 自分の負担を可視化すること
- 嫌いになる前に、その場を降りること
は、逃避ではない。
それは、
責任と共感を健全な場所に戻す行為である。
終わりに
全体に向けた優しい言葉が、
いつも優しい結果を生むとは限らない。
「どなたか」という言葉に
胸がざわつくとき、
それは性格の問題ではなく、
構造を感知しているサインかもしれない。
名前を与えることで、
見えなかった責任の輪郭が現れる。
その瞬間から、
人はようやく自分の境界線を
選び直すことができる。