「救いたい、役に立ちたい、教えたい」が、あんまりない話

最近ふと気づいたんだけど、ぼくにはあんまり、

  • 救いたい
  • 役に立ちたい
  • 教えたい

って気持ちが・・・ない。

これ、言い方によっては
「冷たい」とか
「もったいない」とか
「道徳心が薄い」とか
思われるかもしれないけど、
自分の中ではわりと正直な感覚。

ぼくが楽しいのは、自分自身が

  • 知らないことを知ること
  • 面白い構造を見つけること
  • 好奇心が「カチッ」とハマる瞬間

そういうこと。

だから、「わからない人を教えたい」とは、
そこまで思わない。

……のだけど。

なぜか
「教えてください!」って真正面から来られると、
急にスイッチが入り、
相手の体力や時間配分を一切考慮せず、
懇切丁寧に、背景から構造から例え話まで全部話し始めて、
結果としてちょっとウザがられることは、まあ、ある(笑)。


「役に立ちたい」って、ちょっと押し売りっぽくない?

なんでこういう感覚になるのか考えてみたら、
たぶんこれ。

  • 役に立ちたい → 相手のニーズをこっちが決めてしまう感じ
  • 教えたい → 上下関係が先に立つ感じ
  • 救いたい → 相手を「弱い人」に固定してしまう感じ

これ、全部ちょっと苦手なんだと思う。

多くの「善意」って、
出した瞬間に、
相手の自由を少しだけ奪ってしまうことがある。

だからぼくは、
頼まれてもいないのに
「ここ、こうした方がいいよ」と言い始める人には
なりたくない。

……それは、ぼくの人生に、誰かから口出しされたくないから、なのかもしれない。


ぼくのモチベーションは、かなり自己完結型

ぼくが動く順番は、だいたいこう。

  1. 自分が楽しい
  2. 勝手に深くなる
  3. 結果として、誰かの役に立つことはある

最初から
「役に立とう」としていないから、
押し売りにならない。

その代わり、
一度火がつくと
「そこまで聞いてない」領域まで説明してしまう危険性は、
常に内包している。


困っている人は助ける。でも、探さない。

もちろん、

  • 困っている人に出会ったら助ける
  • そのあと笑顔をもらえたら、素直にうれしい

でも、

「助けられたい人を血眼になって探す」
ことは、しなくていいと思っている。

助けが必要なときは、
だいたい向こうから来る。

そのときは、
逃げずに、ちゃんと話を聞く。


ぼくは「教師」でも「救世主」でもない

自分の立ち位置を正確に言うなら、

  • 教える人でも
  • 導く人でも
  • 救う人でもなくて

面白がっていたら、
横で見ていた人が
何かを持って帰っていくタイプ

展覧会の学芸員とか、
博物館のバックヤードの人に、
ちょっと近いかもしれない。

展示の解説を頼まれたら、
閉館時間ギリギリまで語ってしまうタイプの。


冷たい? いいえ、「干渉しない優しさ」

感情が薄いわけでも、
道徳心がないわけでもなくて、

  • 感情を過剰に使わない
  • 道徳を振り回さない

だけ。

多くの人は、

  • 善意で疲れ
  • 期待で怒り
  • 失望で壊れる

でも、ぼくはそこに行かない。

むしろ、
頼まれたら全力でやりすぎる自分
自制する方が難しい。


今日の結論(というほどでもないけど)

「役に立ちたいって、押し売りだよね」

この感覚は、
今のところ、手放さなくていい気がしている。

無理に誰かを救わなくても、
無理に教えなくても、
自分が面白がっていれば、
世界とはちゃんとつながっている。

そんな感じの、今日の日記。

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