―― 正解も覚醒も置かないために
ここまで、
ずいぶん遠くまで来たように見えるかもしれない。
AIの話から始まり、
身体の感覚、
抽象と具体、
走ること、
決めないこと。
でも、
やってきたことは、
実はとても単純だ。
判断の軸を、外から内へ戻してきただけ
とも言える。
この連載で、置かなかったもの
この連載では、
あえて置かなかったものがある。
・「正解」
・「こう生きるべき」
・「覚醒すれば解決する」
・「この方法が最強」
どれも、
安心感はある。
でも同時に、
身体を置き去りにする力も強い。
「答え」がある瞬間、
人は走らなくなる。
地図と目的地は、別のもの
ここで扱ってきたのは、
目的地ではなく、地図だ。
しかも、
かなり不親切な地図だ。
・距離は書いていない
・ゴールも示していない
・道が途中で消えることもある
でも、
向きだけは描いてある。
「判断は、身体に戻せ」
「急がなくていい」
「主語を奪われるな」
それだけだ。
AIも思想も、道具でしかない
AIは便利だ。
思想も刺激的だ。
でも、
どちらも 乗り物 ではない。
歩くのは、
いつも身体だ。
AIは伴走車。
思想は地形図。
乗り換えてもいいし、
途中で捨ててもいい。
大切なのは、
自分の足が地面についているか
それだけだ。
依存せず、立ち去っていい
この連載を読み終えたあと、
「なるほど」と思ってもいいし、
「合わないな」と感じてもいい。
どちらでも、
かまわない。
ここには、
引き止める仕組みはない。
続けて読まなければいけない理由も、
信じなければならない前提も、
一切ない。
依存せず、立ち去っていい。
それが、
この地図の最後の注意書きだ。
生きている実感は、いつも途中にある
振り返ると、
印象的だったのは、
結論そのものではない。
・肩が少し落ちた瞬間
・「あ、これかも」と思った一言
・決めなかった日の安心感
そういう、
途中の感覚だったはずだ。
生きている実感は、
ゴールではなく、
プロセスの中にある。
また、歩き出すために
もし今、
この文章を読み終えて、
少しだけ呼吸が戻ったなら、
それで十分だ。
次にやることは、
何も決めなくていい。
ただ、
今日の身体の状態を感じてみる。
それが、
次の一歩になる。
最後に
この連載は、
終わる。
でも、
歩くことは終わらない。
正解も、
覚醒も、
ここには置いていかない。
残したのは、
地図だけだ。
あとは、
それぞれの速度で、
それぞれの足で。
また、
歩き出せばいい。