第7章|翻訳が上手い人は、身体をごまかさない

―― 本物の助言が具体的である理由

ここまでで、
AIは「答えを出す装置」ではなく、
思考や選択を補助する存在だ、という話をしてきた。

では次に、
AIや他人から何かを「助言」されたとき、
その良し悪しは、どこで見分ければいいのだろう。

「すごく腑に落ちる助言」と、
「なんだか立派だけど、よく分からない助言」。

この差は、
当たっているかどうか、ではない。

もっと手前に、
はっきりした違いがある。


すごい人の言葉ほど、具体的である

まず、ひとつ観察してみてほしい。

本当に信頼できる助言者ほど、
話が妙に具体的だ。

・「最近、肩が凝ってませんか」
・「朝、起きたときの感じはどうですか」
・「その話、家に帰ってからも考えてません?」

逆に、
怪しく聞こえる助言ほど、抽象的になる。

・「エネルギーが滞っています」
・「運命の流れが来ていません」
・「その選択は、あなたの波動と違いますよね」

一見すると、
後者のほうが“すごそう”に見える。

でも、
身体は正直だ。


抽象は、質問を無効化する

抽象的な言葉の特徴は、
突っ込めないことだ。

「エネルギーが乱れている」と言われても、
「どこが?」「いつから?」と聞きづらい。

役所仕事も、よく似ている。

「法律で決まっています」
「規則ですので」

そこには説明があるようで、
実は何も説明されていない。

質問する側の身体は、
少しずつ固まっていく。

「これ以上聞いても無駄だな」と。


翻訳とは、縮めることではない

ここで言う「翻訳」とは、
難しい言葉を、簡単な言葉にすることではない。

抽象を、
もう一度、現実に戻す作業だ。

・どの場面で
・どんな行動をして
・身体はどう反応したか

このレベルまで降ろす。

本物の助言者は、
この手間を惜しまないが、

偽物の助言者は、

この手間を惜しむ。

なぜなら、
翻訳は面倒だからだ。


ごまかしは、身体に出る

翻訳をサボると、
何が起きるか。

身体が置き去りになる。

聞いている側は、
「分かったような気」にはなる。

でも、
呼吸は浅いままだ。

肩も、落ちない。

行動も、変わらない。

これは、
理解していないのではない。

翻訳されていないのだ。


幾何学模様と、生活の距離

ときどき、
耳障りの良い、聴いていて心地の良い説明に出会う。

構造がきれいで、
全体像が整っていて、
思わずうなずいてしまう。

でも、その夜、
家に帰ってからふと思う。


実際の生活は何も変わらない。

家族との会話。
仕事の進め方。
寝る前の感じ。

あの説明は、生活のどこにも接続されていない。

それは、
幾何学模様を眺めているのと同じだ。

形はまっすぐで整っているが、
人生のどこにも置き場がない。


本物の助言は、少し野暮だ

逆に、
効く助言は、少し野暮に聞こえる。

・「早めに寝るようにすればいいと思う」
・「その話、今は決めなくていいんじゃないですか」
・「一回、外に出て5分間でもいいから歩いてください」

派手さはない。

でも、
身体が反応する。

「……あ、確かに」

この一拍がある。


AIを使うときも、同じ

AIの返答を読むときも、
ここまでの話は、そのまま使える。

読んでいて、

・呼吸が止まるか
・広がるか
・具体的な行動が浮かぶか

を見る。

もし、
「なるほど……で?」

「理解はできたけど、どうすればいいの?!」


となるなら、
その答えはまだ翻訳途中だ。

AIが悪いのではない。
問いが、まだ抽象なのだ。


翻訳の主役は、いつも自分

大事なのは、
「誰が翻訳するか」だ。

助言者でも、
AIでもない。

最終的に、
自分の身体を納得させられるのは、自分しかいない。

だから、
質問していい。

突っ込んでいい。

「それ、具体的に言うと?」
「自分の場合だと、どこ?」と。

それができるようになると、
“すごさ”に振り回されなくなる。


次の章へ

次の章では、
ここまでの話を一段まとめる。

AIは、
助言者でも、教師でもない。

もっと近い存在だ。

反射神経。
ラケット。
延長された身体。

どうすれば、
主権を手放さずに使えるのか。

「AIが言ったから」から、
どう卒業するのか。

その話をしよう。

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