― 正しい説明より、フッと緩む感覚
何かを説明しようとしたとき、
言葉は合っているはずなのに、なぜか苦しい、という瞬間がある。
論理的には破綻していない。
言っている内容も、たぶん正しい。
それなのに、話しながら呼吸が浅くなり、
肩や首に、じわっと力が入ってくる。
一方で、
うまく説明できているとは言えないのに、
話したあと、なぜか少し楽になる言葉もある。
この違いは何だろう。
私たちは普段、
「正しいかどうか」
「筋が通っているか」
「相手に通じるか」
といった基準で、言葉を評価している。
でも、その前に、
もっと原始的で、
誰にも奪われないチェック機構が、
すでに働いている。
それが、身体の反応だ。
正しい言葉ほど、苦しくなることがある
「正しい説明」をしようとすると、
多くの場合、頭の中ではこういう作業が起きている。
- 話の順番を整える
- 矛盾がないか確認する
- 誤解されない表現を選ぶ
- 相手の反応を先読みする
これ自体は、悪いことではない。
社会で生きるうえでは、必要な能力でもある。
ただ、この作業が強くなりすぎると、
言葉は「伝えるためのもの」ではなく、
「間違えないためのもの」に変わっていく。
その瞬間、
身体は防御モードに入る。
- 呼吸が浅くなる。
- 声が少し高くなる。
- 背中や肩が固まる。
これは意志の問題ではない。
「ちゃんとしなきゃ」という状況認識に対して、
身体が自動的に反応しているだけだ。
この状態でいくら言葉を磨いても、
どこかで無理が生じる。
だから、
正しいはずの説明が、
自分自身を疲れさせることがある。
L1という、もっと下にある基準
この連載では、
身体の反応をいくつかの層に分けて捉えている。
その一番下にあるのが、
L1:物理・生理反射だ。
難しく考える必要はない。
- 呼吸が深くなる
- 表情筋はこわばらないか
- 肩の力が抜けるか
- 顎や腹に余計な緊張がないか
こうした、ごく基本的な反応のことだ。
重要なのは、
L1は「正しい/間違い」を判断しない、という点だ。
L1が見ているのは、
安全かどうか
無理をしていないか
ただそれだけだ。
だから、
内容が正しくても、
評価されている感覚が強ければ、
L1は「緊張」というサインを出す。
逆に、
言葉が拙くても、
自分の実感に近いことを話しているとき、
L1は弛緩する。
ここに、
多くの人が見落としている指標がある。
「フッと緩む」は、思考が進んだ合図
AIとの対話でも、
人との会話でも、
こんな瞬間がないだろうか。
説明し終わったあと、少し息が吐けた
「あ、今の言い方の方が近いかも」と感じた
肩がストンと落ちた
大きな納得ではない。
感動でも、覚醒でもない。
ただ、フッと緩む。
この反応は、
「正解が出た」サインではない。
「この方向なら、もう少し考えても大丈夫」という、
身体からの許可だ。
逆に、
いくら褒められても、
いくら論理的に正しくても、
説明したあとにグッタリするなら、
どこかで無理がかかっている。
ここで大事なのは、
どちらが立派か、ではない。
どちらが続けられるかだ。
AIにも、他人にも、決められない指標
AIは、
言葉の整合性や、一般的な妥当性については、
とても優秀だ。
他人も、
社会的な正しさや、評価基準を教えてくれる。
でも、
「その言葉を使ったとき、
あなたの身体がどうなったか」
だけは、
誰にも代わりに判断できない。
AIが「良いですね」と言っても、
身体が固まるなら、
それはあなたにとっては未消化だ。
他人に「それで合ってるよ」と言われても、
呼吸が詰まるなら、
まだ何かがズレている。
逆に、
誰に説明できなくても、
少し楽になる言葉があるなら、
それは今のあなたにとって、
大事な手がかりだ。
正しさより、続けられる感覚を
この章で伝えたいのは、
「身体を最優先にしろ」という話ではない。
言葉も、論理も、説明も、
すべて必要だ。
ただ、その前に、
一つだけ確認してほしい。
「今、その言葉を言って、
身体はどうだったか?」
フッと緩んだなら、
たぶん、方向は合っている。
苦しくなったなら、
あなたが間違っているのではなく、
順番が逆になっているだけかもしれない。
正しい説明は、
後からいくらでも磨ける。
でも、
弛緩する感覚は、
一度無視し続けると、
だんだん聞こえなくなる。
次の章では、
なぜ人がこの感覚を無視するようになるのか。
そして、
抽象に逃げることで何が起きるのかを、
もう少し社会的な視点から見ていく。
「変だ」と感じていた違和感には、
ちゃんと理由がある。