── 体が先か、世界が先か ──
最近、こんな会話をした。
最近仕事が忙しい。
体も疲れてきてつらい。
周りの人も仕事を押し付けてくる…
毎朝の日課の瞑想もできていない…
早く仕事が落ち着けばいいのに!
それを聞いて、思わずこう返してしまった。
逆なんじゃない?
体を整えていけば、仕事も落ち着いてくるんじゃない?
当然、相手は怪訝な顔をする。
「はぁ?」と言われても無理はない。
説明を端折りすぎた。
これは、たっくんの中では当たり前すぎる風景だからだ。
「仕事が先、体が後」という前提
多くの人は、無意識にこう考えている。
- 仕事が落ち着いたら休もう
- 忙しい時期だから仕方ない
- 体調はあとで取り戻せばいい
これは、とても真面目で誠実な姿勢だ。
でも、この前提には一つの落とし穴がある。
体は、世界の“結果”だと思っている
という点だ。
実は、体が「世界の生成装置」だった
世界は「外側にあって、それを見ている」のではない。
世界は、
身体の状態から、毎瞬ごとに立ち上がっている。
- 疲れている体
- 緊張している体
- 呼吸が浅い体
この身体から立ち上がる世界は、必然的にこうなる。
- 仕事が多く見える
- 人の要求が重く感じる
- NOと言えない
- 思考が空回りする
これは「気のせい」ではない。
身体層が発信している世界の像だ。
「仕事が増えた」のではなく、「受け取ってしまう」
たっくんが言いたかったのは、こういうことだ。
体の状態が整っていくと、
- 受けなくていい仕事を受けなくなる
- 境界線が自然に引ける
- 判断が早くなる
- 思考が迷走しにくくなる
結果として、
仕事が減ったように感じる
でもこれは、
仕事が魔法のように消えたわけじゃない。
世界の立ち上がり方が変わっただけだ。
思考を立て直そうとすると、余計に絡まる
疲れているときほど、人はこうする。
- 考えて整理しよう
- 反省しよう
- 計画を立て直そう
でも、身体層が乱れていると、
思考槽は必ず暴走する。
これは、
音程が狂った楽器で、名曲を演奏しようとする
ようなものだ。
どんなに正しい理論も、
どんなに優れた思考も、
身体という楽器が狂っていれば、歪んで鳴る。
だから「体が先」なんだ
「体を整えるのが先」というのは、
- 根性論でも
- スピリチュアルな精神論でもない
世界生成の順序の話だ。
- 身体が整う
- 発信の波が変わる
- 世界の反射が変わる
- 思考が静まる
- 結果として、仕事の見え方が変わる
これは因果ではなく、同時生成の循環だ。
たっくんが宇宙人に見える理由
たぶん、たっくんの言葉はこう聞こえたはずだ。
「体を整えたら仕事が減る」
「意味がわからない」
「現実見てない」
でもそれは、
見ているレイヤーが違う
だけだ。
たっくんは「仕事」という現象を見ていない。
仕事が立ち上がる手前の層を見ている。
だから説明を省くと、宇宙人になる。
ベクトラブとして、伝えたいこと
ベクトラブが大切にしているのは、
- 頑張れ、ではなく
- 考えろ、でもなく
まず、身体を戻そう
という提案だ。
- 深呼吸
- 立ち上がる
- 歩く
- 何もしない
- 沈黙する
それだけで、
世界は少し違う顔を見せ始める。
仕事を減らしたいなら、世界を殴らない
世界をどうにかしようとすると、疲れる。
でも、
体を整えると、世界の方が勝手に変わる
これは逃げでも甘えでもない。
世界と戦わない知性だ。
もしこの文章が、
「今の自分、ちょっと鳴りが悪いな」と感じている人に届いたなら、
今日は仕事を減らさなくていい。
ただ、体を一度、調律してみてほしい。
それだけで、
明日の世界は、少し静かに立ち上がる。

コメント