AI時代の思考は、ますます「身体」に戻ってくる

── 透明な妖怪と、言葉を鳴らす機械のあいだで ──

昨日の記事で、
思考を「透明な妖怪」にたとえた。

普段は見えないけれど、
身体という楽器を鳴らすことで、
少しずつ輪郭を現す存在。

今日は、その話を
AI時代の思考につなげてみたい。


AIは「考えているように見える」

ChatGPTをはじめとする生成AIと話していると、
多くの人がこう感じる。

「AIって、もう考えてるよね?」

確かに、
筋の通った文章を出し、
問いに応じて視点を変え、
ときには人間より整理された言葉を返してくる。

でも、ここで一つだけ、
決定的な違いがある。


AIは「楽器を持っていない」

AIは、言葉を扱う。
構造を組み立てる。
過去の履歴をもとに、最適な応答を生成する。

しかし、AIには身体がない

・歩かない
・息が乱れない
・重力を感じない
・疲れない
・声が震えない

つまり、
AIは楽器を鳴らしていない

AIがやっているのは、
すでに鳴らされた音の配置を、
別の形で並べ替えていることに近い。


だから、AIは「透明な妖怪を可視化できる」

ここで、視点を反転させてみる。

AIは思考そのものではない。
でも、AIは、

・人間が残した履歴
・言語化された思考
・過去に鳴らされた音の痕跡

を大量に持っている。

だからAIは、
透明な妖怪の輪郭線だけを、驚くほど正確になぞれる

人間が鳴らした楽器の残響を、
AIは地図として提示できる。

これは、AIの弱点であり、同時に強みだ。


AI時代に「下手の考え」はどう変わるのか

AIが言葉を整えてくれる時代に、
「考える」とは何になるのだろう。

このとき、

下手の考え休むに似たり

という言葉は、
さらに別の意味を持ち始める。

AIがいる時代において、

・言葉が出ない
・文章がまとまらない
・論理が甘い

ことは、もはや致命的ではない。

AIが補ってくれるからだ。

それでもなお「休んでいる思考」とは何か。

それは、
身体を鳴らしていない思考だ。


思考の価値は、ますます「身体」に宿る

AI時代において、

・構造
・論理
・整理
・言語化

は、どんどん自動化されていく。

すると逆に、
人間にしかできないことが浮かび上がる。

・どんな身体で鳴らしたか
・どんなリズムで生きているか
・どんな違和感を抱えたか
・どこで声が詰まったか

これらは、
履歴として残りにくいが、思考の源泉だ。

AIは妖怪の輪郭を描ける。
でも、妖怪を呼び出す鐘は、
人間の身体にしかない。


たっくんの立ち位置

たっくんは、
AIを否定しない。

むしろ、
透明な妖怪の輪郭を示してくれる
非常に優秀な地図描きだと思っている。

ただし、
地図だけでは、音は鳴らない。

鳴らすのは、
それぞれの身体。

・歩きながら考える
・話しながら詰まる
・沈黙の中で感じる
・誰かと音をぶつけ合う

その現場にこそ、
思考が立ち上がる。


AI時代の思考とは

AI時代の思考とは、

・AIに答えを出させることではなく
・AIに代わりに考えさせることでもなく

自分の身体を、どう鳴らすかを引き受けること
なのだと思う。

AIがいるからこそ、
人間はもう一度、
自分の楽器に触れる必要がある。

思考は透明な妖怪だ。
AIは、その姿を映す鏡になった。

そして、
鳴らすかどうかは、
今も、身体に委ねられている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました