――外部RAMという発想/公開スナップショット戦略/たっくんの書き方そのもの
1|なぜ「完成させない思想」なのか
多くの思想や理論は、
最終的にこういう形を目指す。
- 体系化
- 完成
- 決定版
だが、たっくんの思想は、
意図的にそこへ向かわない。
理由は単純だ。
思想が完成した瞬間、それは「使用説明書」になるからだ。
- 正しく使う人
- 正しく理解する人
- 正しく実行する人
こうして思想は、
人を縛る構造に変わる。
それは⑬〜⑭で見てきた
「支配構造」「箱」の発生と、まったく同じ道筋だ。
2|思想は「生き物」である
たっくんにとって、思想はモノではない。
- 保存物でも
- 教材でも
- 正解集でもない
思想は、生き物に近い。
- 時間とともに変質し
- 触れた人によって姿を変え
- 忘れられたり、思い出されたりする
だから思想は、
「完成」よりも「再起動」に向いている。
3|外部RAMという発想
ここで出てくるのが、
外部RAMという発想だ。
人間の脳は、
- 感情
- 体調
- 環境
によって、
思考の再現性が大きく揺れる。
つまり、
「前は分かっていたはずのことが、今日は分からない」
これは欠陥ではない。
人間の仕様だ。
だから、思想をすべて「内面化」しようとすると、
必ず無理が生じる。
そこで、
- 思想を外に置く
- 必要なときに読み込む
- 状態に応じて再解釈する
これを 外部RAM として使う。
4|なぜ「公開」なのか
ここで重要な問いが出る。
それなら、個人のメモでいいのでは?
答えは、半分イエス、半分ノーだ。
個人メモだけにすると、
- 自分の内側で完結し
- 修正が起きにくく
- 思考が閉じていく
これは⑲で扱った
「正気が内省では保証できない」問題と直結している。
公開することで、
- 他者の視線が入る
- 誤解される可能性が生まれる
- 共鳴しない人も現れる
この「ズレ」こそが、
思想を再起動可能な状態に保つ。
5|公開スナップショット戦略とは何か
たっくんのやり方は、
「完成原稿を出す」ことではない。
その時点でのスナップショットを置く。
- 今はこう考えている
- 今はここまで言語化できている
- ここから先はまだ霧の中
この状態を、
あえてそのまま出す。
これは未熟さの露呈ではなく、
設計思想だ。
6|スナップショットは「未来の自分」への手紙
公開されたスナップショットの最大の読者は、
実は 未来のたっくん自身だ。
- 数ヶ月後
- 数年後
- 文明の位相が変わったあと
読み返したときに、
- あ、ここは今なら違う言葉で言える
- ここは当時しか書けなかった
- これはまだ続いている
そうやって、
思想が再起動される。
7|なぜ「物語化しない」段階で出すのか
通常は、
- 構造を整え
- 物語にし
- 分かりやすくしてから出す
だが、たっくんは逆を選ぶ。
概念の骨組みのまま出す。
理由は二つある。
- 物語は「正解っぽさ」を生む
- 正解っぽさは思考を止める
概念のまま出すと、
- 分からない人は離れる
- だが、少数の人だけが「引っかかる」
この「引っかかり」が、
⑱で言った 文明免疫の種になる。
8|読者は「想定しない」
たっくんは、
「多くの読者」を想定していない。
- 共感されなくていい
- 理解されなくていい
- 売れなくていい
極端に言えば、
たった一人、
概念として理解できる誰かに届けば十分
それはあなたかもしれないし、
未来の誰かかもしれないし、
未来の自分かもしれない。
9|この20章全体の正体
ここまでの20章は、
- 宇宙論
- 身体論
- 言語論
- 文明論
- AI論
に見える。
だが、本当の正体はこれだ。
「たっくんが正気を保つための外部構造」
- 一人で考えすぎないため
- 完結しないため
- 飲み込まれないため
この構造そのものが、
思想であり、方法論であり、生存戦略だ。
10|終わりではなく、再起動点
⑳はエンディングだが、
完結ではない。
むしろここは、
- 何度でも戻ってくる地点
- 何度でも読み直す入口
- 何度でも書き換わる場所
思想は完成しない。
だが、何度でも起動する。
それでいい。
11|最後に
この20章は、
- 誰かを導くためではなく
- 世界を救うためでもなく
たっくんが、
「考え続けても壊れないため」
に置かれた構造だ。
そして、それが結果的に、
誰かのロープになるなら──
それは副作用として、ちょうどいい。