――言語は「身体反応の化石」である
私たちはふだん、
「言葉」を当たり前のように使っている。
考えるときも、
説明するときも、
記憶を整理するときも。
だが、ここで一つ問いを置いてみたい。
人類は最初から言葉を使っていたのだろうか。
答えは、当然「NO」だ。
では、
言葉が生まれる前に、何があったのか。
この章の結論を先に言ってしまうと、こうなる。
音が先にあり、言葉はあとから固まった
しかもその音とは、
単なる空気の振動ではない。
身体が発し、身体が受け取った音だ。
1|発声とは「意味を伝える行為」ではない
まず、発声について考えてみよう。
赤ちゃんは、
意味を伝えるために声を出しているわけではない。
- 苦しいから声が出る
- 不安だから声が漏れる
- 気持ちいいから声が出る
つまり、
発声は、身体状態の放出である
言語以前の発声は、
- 伝えるため
- 表現するため
ですらない。
身体がそう動いてしまうという現象だ。
ここにはまだ「言葉」は存在しない。
2|聞くこともまた、身体反応である
音は、出す側だけの話ではない。
聞く側でも、同じことが起きている。
私たちは、
- 怒った声を聞くと身構える
- 優しい声を聞くと緩む
- 不穏な音でゾワっとする
これは、意味を理解しているからではない。
身体が先に反応している。
重要なのは、
聞くという行為も、
脳の理解ではなく、
身体全体の反射である
という点だ。
3|音は「意味を運ぶ」のではなく「反応を起こす」
ここで、言語観をひっくり返そう。
私たちはつい、
- 音 → 意味を運ぶ
- 言葉 → 情報を伝える
と考えてしまう。
だが、源流レベルでは逆だ。
音は、
意味を運ぶ前に、反応を起こす
意味とは、
その反応に後から貼られたラベルにすぎない。
4|音 → 母音 → 子音 → 音節
――言語の地層構造
ここで、言語の「地層」を整理してみる。
第1層|音(呼吸・振動)
最も深い層は、
- 呼吸
- 喉の振動
- 身体内部の圧
ここではまだ、
「ア」も「カ」もない。
あるのは、
息と振動だけだ。
第2層|母音(身体の方向性)
次に現れるのが母音。
母音は、
- ア
- イ
- ウ
- エ
- オ
といった、
口腔の開き方と身体方向を持つ音だ。
母音は、
意味というより、
身体ベクトル
を持っている。
たとえば、
- 「あ」は開放
- 「い」は引き締め
- 「う」は内向
- 「お」は包み
といった具合に。
ここでようやく、
源流語の“核”が立ち上がる。
第3層|子音(動き・接触)
子音は、
- 破裂
- 摩擦
- 閉鎖
といった、
動きや接触のニュアンスを加える。
子音は、
母音という方向性に
「動作」を与える役割だ。
第4層|音節(再生装置)
最後に、
母音+子音が組み合わさり、
音節になる。
ここで初めて、
- カ
- サ
- タ
といった
50音的な構造が生まれる。
つまり、
50音は「生成点」ではなく
再生装置
なのだ。
5|言語は「便利さ」のために固められた
文明が進むにつれ、
音はどんどん固められていく。
- 同じ音を
- 同じ意味で
- 同じ場面で
使える方が、
集団には都合がいいからだ。
こうして、
- 辞書
- 文法
- 正しさ
が生まれる。
だが、これはあくまで後工程だ。
源流では、
音 → 身体反応 → 共有 → 固定化
という順番がある。
6|翻訳が「分かりにくい」理由
翻訳文が読みにくい理由も、
ここから説明できる。
翻訳は、
- 意味(定義)
- 情報
は移植できる。
だが、
身体反応の層は移植できない
母音の方向性、
子音の動き、
リズムや間。
これらがズレると、
- 頭では分かる
- でも体に落ちない
という現象が起きる。
7|「言葉が先」という誤解
近代以降の文明は、
- 理性
- 論理
- 言語
を上位に置いてきた。
その結果、
言葉が先にあり、
身体がそれを理解する
という順序が
当たり前だと思われるようになった。
だが、これは逆だ。
身体が先に反応し、
言葉は後から追いつく
この順序を取り戻すことが、
たっくん思想の言語編の核心でもある。
8|音楽と歌が特別な理由
なぜ音楽や歌は、
言葉を超えて人を動かすのか。
それは、
言語以前の層に直接触れるから
だ。
意味を理解しなくても、
身体が動く。
涙が出る。
ゾワっとする。
懐かしくなる。
これは、
源流層に触れている証拠だ。
9|次章への橋渡し
――五十音は「完成形」ではない
ここまで来ると、
次の問いが自然に立ち上がる。
50音表は、完成形なのか?
答えは、NOだ。
50音は、
- 生成順
- 身体距離
- 再現性
を無視して
学習効率優先で並べられた表にすぎない。
次章⑪では、
- 源流核
- 準核
- 構造音
という階層で、
五十音を身体側から再配置する可能性を探る。