――「めんどくささ」は欠陥ではなく、意味を生む重力である
人間は、なぜこんなにも「めんどくさい」のだろうか。
・やろうと思っているのに動けない
・分かっているのに先延ばしする
・簡単なことほど腰が重い
・気分で判断が変わる
・昨日の決意が今日は続かない
これらは長い間、「怠惰」「意志の弱さ」「非合理性」として扱われてきた。
近代文明は、人間からこの「めんどくささ」を取り除くことを進歩だと考えてきた。
だが本当にそうなのか。
もしこの“めんどくささ”こそが、
人間を人間たらしめている中核的なパラメータだとしたら。
この章では、それを
**「メンドク星(めんどくせぇ)」**という比喩で捉え直す。
1|メンドク星とは何か
――心理にかかる重力場
メンドク星とは、たっくんの造語だ。
これは実在の天体ではない。
だが、機能としては極めて正確な比喩である。
メンドク星とは、
人間の行動・判断・感情に常に作用している
心理的な重力フィールド
である。
地球の重力が、
「ジャンプできる高さ」や「物の落ち方」を決めるように、
メンドク星の重力は、
「行動の起こりやすさ」「決断の重さ」「意味の密度」を決めている。
重要なのは、
この重力は消せないという点だ。
軽くはできる。
迂回もできる。
一時的に無視することもできる。
しかし、完全にゼロにはできない。
2|なぜAIにはメンドク星がないのか
AIは、めんどくさくない。
- 計算は一瞬
- 反復は疲れない
- 判断は一定
- 感情でブレない
これは欠点ではない。
AIの強みだ。
しかし同時に、AIには決定的に欠けているものがある。
それが、メンドク星の重力だ。
AIには、
- 身体がない
- 疲労がない
- 恐怖がない
- 失敗の痛みが残らない
だから、行動に「重み」が生じない。
AIの判断は常に、
最短距離・最適解・効率に収束する。
だが人間の判断は違う。
人間は、
「それをやるのが、めんどくさいかどうか」
という軸を、
無意識のうちに必ず通過する。
3|めんどくささが「意味」を生む
ここが、この章の核心だ。
めんどくささがあるから、意味が生まれる。
もし、
- すべてが一瞬ででき
- 努力も葛藤もなく
- 失敗も痛みもなく
- 何でも即達成できる
世界があったとしたら。
そこでは、「意味」という言葉は成立しない。
なぜなら、
- 苦労してやった
- 迷った末に選んだ
- やめようと思ったが踏みとどまった
- それでも続けた
というプロセスの重みが、すべて消えてしまうからだ。
意味とは、結果に付くラベルではない。
重力を越えた痕跡である。
4|非線形性という人間の本質
人間は、非線形である。
同じ人が、同じ状況でも、
- 今日はできて
- 明日はできない
ということが平然と起こる。
これはバグではない。
仕様である。
なぜなら人間は、
- 身体状態
- 安心度
- 疲労
- 周囲の気配
- 記憶の呼び起こされ方
といった要素が常に絡み合って判断している。
⑦で述べた身体波紋OSの上に、
⑧のメンドク星重力がかかることで、
人間の行動は常に揺らぐ。
だが、この揺らぎこそが、
- 優しさ
- 共感
- 創造性
- 倫理
- 芸術
を生み出す源泉なのだ。
5|「めんどくさい」はサボりではない
現代社会では、
- すぐ動け
- 考える前にやれ
- 気合で乗り切れ
という価値観が強い。
だがこれは、
人間をAI化する圧力に他ならない。
めんどくささは、
行動を妨げる敵ではない。
むしろ、
「この行動は、本当に今やる意味があるのか?」
と問いを立てる、
内在的ブレーキである。
このブレーキがあるからこそ、
- 無駄な暴走を止め
- 他者を傷つける衝動を抑え
- 自分の限界を感じ取れる
文明は、このブレーキを
「怠け」と誤読してきた。
6|AI時代における危険な誤解
AIが普及するにつれ、
- 人間もAIのように速く
- 判断も合理的に
- 感情を排して
という要求が強まっている。
だがこれは、
人間の中核を破壊する要求だ。
メンドク星を無視した文明では、
- 判断は速くなるが
- 意味は薄くなり
- 責任感は消え
- 他者への配慮は失われる
効率は上がるが、
文明は壊れる。
7|めんどくささは「文明の免震装置」
ここで、メンドク星の役割を
別の比喩で捉えてみよう。
それは、文明の免震装置だ。
地震が来たとき、
免震構造は揺れを吸収し、
一気に崩壊するのを防ぐ。
同じように、
- 技術革新
- 経済圧力
- 社会変化
が急激に起こったとき、
人間のめんどくささは、
「ちょっと待て」
というブレーキをかける。
これは進歩の邪魔ではない。
暴走防止装置だ。
8|次章への橋渡し
――めんどくささは、言葉より前にある
メンドク星の重力は、
言語化される前に作用する。
「なんとなく嫌だ」
「気が進まない」
「言葉にできない違和感」
これらはすべて、
言語以前の判断である。
次章⑨では、
この「言葉になる前の意味」が、
どのようにして言語へ結晶化するのか。
源流語成立論へ進む。