ログアウト不能なこのゲームの中で ――「なんとなく続いてしまう」ということ

ここ最近、「なんで自分として目が覚めるのか」とか、
「主体が消えたらどうなるのか」とか、
少しややこしいことを考えていた。

強制的にログインさせられている感覚とか、
選んだ覚えのない条件で生きていることの不条理とか。

正直、すっきりした答えはまだ出ていない。

ただ、その流れで一つだけ、
妙に現実味のあることに気づいた。

人は、思っているほど「決断して生きていない」のかもしれない。

どちらかというと、
なんとなく続いている。

朝が来て、起きて、
その日を過ごして、また寝て。

それが積み重なって、
気づいたら何年も経っている。

途中で何かを強く決めたつもりでも、
あとから振り返ると、
その時の状態とか、環境とか、
そういうものに押し出されていただけの気もする。

そしてたぶん、
多くの人がそんなふうに生きている。

職場の人も、
街ですれ違う人も、
それぞれに事情を抱えながら、

それでも今日をなんとかやり過ごして、
また次の日に繋げている。

その積み重ねの先に、
老いや病気や、終わりが来る。

看取りの場で語られる後悔の話を聞くと、
人生ってもっと劇的なものだと思っていたのに、
実際はずっと地続きのまま、
ここまで来てしまうものなのかもしれない、と思う。

なんとなく続いて、
なんとなくここまで来て、
最後に「これでよかったのか」と振り返る。

そういう構造なのかもしれない。

少しだけ冷たく聞こえるかもしれないけど、
でも同時に、少しだけ救いのある見方でもある気がしている。

なぜなら、

その「なんとなく」は、
決して怠けていたわけでも、
逃げていたわけでもなくて、

そのときの自分にできる範囲で、
なんとかやっていた結果でもあるからだ。

完璧に選びきれなかったとしても、
最善じゃなかったとしても、

その瞬間ごとに、
その人なりの限界の中で、
なんとか続けていた。

そう考えると、

この「ログアウトできない感じ」も、
少しだけ見え方が変わる。

自分だけが特別に閉じ込められているわけじゃなくて、

たぶん、みんなそれぞれの場所で、
同じように続いている。

納得しているわけでもなく、
完全に受け入れているわけでもないまま、

それでも、なんとなく。

理由が分かるわけでもなく、
意味がはっきりするわけでもなく、

ただ、
今日も続いている。

結局のところ、

「なぜ続くのか」という問いには、
まだ答えは出ていない。

でも、

答えがないままでも、
続いてしまうのがこの世界らしい。

だったら、
とりあえず今日は、

この「なんとなく」の中で、
もう少しだけやってみるか、と思う。

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