多くの議論を見ていると、
実はそこで行われているのは客観的な「事実」の検証ではなく、
「自分の不快感や違和感を、いかに正当性のありそうな言葉でコーティングして相手にぶつけるか」
という、いわば感情のドッジボールになっていることがある。
感情そのものは悪いものではない。
むしろ人間の思考の出発点は、多くの場合そこにある。
問題は、その感情を
「これは私の感想です」と言うのではなく、
真理のように偽装して語ってしまうことだ。
ひろゆきさんの
「それってあなたの感想ですよね」
という言葉があれほど刺さったのも、
世の中の主張の多くが
「感想(I feel)」を「事実(It is)」のように語っている
ことを暴いてしまったからだろう。
たとえば本来はこう言えばいい。
私は、男性が育休を取ることに違和感がある。
これは単なる感想だ。
しかしそれをそのまま言うと、自分の主張は弱く見える。
そこで人は、言葉にコーティングを施す。
生物学的に、オスは外で稼ぐ役割であり、男性の育休は効率が悪い。
こう言えば、それは単なる感想ではなく
自然の法則のように聞こえる。
「生物学的に」
「常識的に」
「普通に考えて」
こういう言葉は、
感想を真理に昇格させる魔法のように使われることがある。
その瞬間、話者は
「私はこう感じる」という一個人の立場から、
「真理を代弁している人」
のポジションに移動できる。
そこには少しだけ、
全能感のようなものもあるのかもしれない。
でも、本当はもう少し素直に
「私はこう感じる」
と言えたほうが、
議論はずっと面白くなる気がする。
もしかすると、議論を難しくしているのは価値観の違いではなく、「感想」と「事実」を混ぜて語る私たちの癖なのかもしれない。

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