トロッコ問題のことを考えていた。
あの有名な「五人を助けるために一人を犠牲にするか」というやつ。
昔から、あれがどうにも苦手だ。
多くの人が「引く」と即答するのを聞くたびに、
それって本当に考えた結果なのか、それとも
「正解っぽい答え」に避難しているだけなんじゃないか、
という気持ちが拭えない。
行動そのものより、
その裏で何を考えているかの方がずっと重要なのに、
トロッコ問題はそこを全部無視して
「さあ、どっち」と迫ってくる。
社会のための倫理と、
自分がこの身体で引き受けられる倫理は、
同じである必要なんてないはずだ、
ということも改めて思った。
正直に言えば、
自分だって状況や気分で判断は変わる。
それを一貫性がないと切り捨てるのは簡単だけど、
その揺らぎこそが、生きている感触なんじゃないかとも思う。
最近はAIに聞けば、
どんな悩みも過去の思想にきれいに整理されて返ってくる。
便利だけど、ときどき虚しい。
自分の悩みが、標本みたいに扱われる感じがする。
でも思想って、
答えを出すためのものじゃなくて、
「今、自分はどこに立っているか」を
確認するためのものだったはずだ。
日々を生きて、迷って、
少し考えて、また日常に戻る。
たぶん、それだけ。
正解っぽい倫理に寄りかからず、
「私はこう考える」と小さく呟きながら、
今日も一日を終える。

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