AIのニュースを見て、「狐憑」が浮かんだ日

最近、
「AIのせいでスピリチュアルな体験に取りつかれる人が増えている」とか、「AIがきっかけで宗教的な妄想に入ってしまう人がいる」みたいなニュースが多い。

最初は正直、「え、そんなことが?」と思っていた。
だって、AIって基本的には、こっちが聞いたことに答えるだけだし。
AIそのものが人間を操るっていうより、使い方とか、受け取り方の問題なんじゃないの?って。

でも記事を読み進めていくうちに、別の言葉が浮かんできた。

狐憑(きつねつき)。

中島敦の短編『狐憑』に出てくるシャクのことを思い出した。

シャクって、誰かに殴られたわけじゃない。
誰かに「こうしろ」と命令されたわけでもない。
なのに、共同体の中で、少しずつ立場を奪われていく。

気づけば、

  • 役割が固定され
  • 周囲から距離を取られ
  • 逃げ道がなくなり
  • 最後は「処分」される

ここが怖いのは、はっきりした加害者がいないところだ。
みんな「自分がやった」とは言わない。
代わりに、「しきたり」とか「空気」とか「当然」とか、そういう曖昧なものが意思決定の主体になっていく。

この感じ、現代にもある。
いや、むしろ今の方が似てるかもしれない。

たとえば、こんな言葉。

「空気を読んで」
「みんなのために」
「前例があるから」
「(システムが)そうなってるから」
「AIがそう言ったから」

こういう言葉って、命令じゃない。
でも、命令以上に強く人を動かすことがある。

誰も決めてないのに、決まってしまう。
誰も殴ってないのに、ひとりが壊れていく。

そういう場面、たぶん多くの人が見たことがあると思う。

それで、ふと思った。

このAIニュースの話も、単に「変な人が増えた」とか、「リテラシーが低い人が騙された」とか、そういう話だけじゃないのかもしれない。

もっと構造的に言うと、

文明の中で、人が追い込まれていく“圧のかかり方”が変わってきていて、
そこにAIが新しい形で加わった

ということなんじゃないか。

AIは、誰かの代わりに殴ってくるわけじゃない。
むしろ、殴ってる人が見えない状態を、もっと見えにくくすることがある。

「AIが言った」
この一言があるだけで、責任の所在が霧になる。
そしてその霧の中で、どこかの誰かが、静かに孤立していく。

……ここまで考えて、また『狐憑』のシャクが浮かんだ。

シャクは、狐に憑かれたから壊れたんじゃない。
「狐憑が起きるように設計された共同体」の中で、壊れていった。

じゃあ今の時代に起きているのは、何なんだろう。

「AIに憑かれた人」が増えてきているんじゃなくて、
「AIが憑きやすい構造」が増えていることが、
そこに閉じ込められた人の姿を借りて可視化されつつある、ということなのかもしれない。

そんなことを考えた朝だった。

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