ここ数日、
足の話ばかりしていた気がする。
AIのニュースから始まって、狐憑の話になって、
文明を人体にたとえて、
足の違和感と、声の大きさと、言葉と身体の混線の話まで来た。
一見すると、ずいぶん遠回りをしたようだけど、
考えてみると、ずっと同じところをぐるぐる歩いていた気もする。
結局、気になっていたのは、
「文明って、どうやって歩き続けるんだろう?」
という、ごく単純な問いだった。
身体を想像すると、答えは案外シンプルだ。
足は、大事な情報をくれる。
地面の硬さ、傾き、滑りやすさ、疲労のたまり具合。
もし足の声を無視し続けたら、
いずれ転ぶし、どこかを壊す。
だから、足の声はちゃんと聞く必要がある。
でも同時に、
足の声だけで、全身の進行方向を決めるわけでもない。
右に進むか、左に進むか、
どれくらいのスピードで歩くか、
いつ休むか。
それは、足だけではなく、
全身のバランスを見ながら決めている。
文明も、たぶん同じだ。
一人ひとりの違和感や不安や声は、
社会にとって大切なセンサーだ。
見えない歪みを、早めに知らせてくれる。
でも、その声がそのまま「正しさ」や「命令」に変換されてしまうと、
文明は、うまく歩けなくなる。
止まりすぎたり、揺れすぎたり、
時には、自分で自分を傷つけてしまう。
AIは、そのセンサーの感度を、一気に高めてしまった。
小さな声を拾い、整理し、はっきりした言葉にして、
遠くまで届ける。
それ自体は、悪いことじゃない。
むしろ、これまで見えなかった問題が見えるようになった、という面もある。
ただ、その分だけ、
「どの声を、どう扱うか」を判断する力が、
人間側に強く求められるようになった。
足の声を無視しない。
でも、足にハンドルを握らせない。
たぶん、このバランス感覚が、これからますます大事になる。
思考は、仮説。
言葉は、道具。
身体は、基盤。
違和感は、警告。
行動は、全身のバランスを見て決める。
この切り分けを、頭だけじゃなく、
身体の感覚として思い出せるかどうか。
それができれば、
言葉に振り回されすぎず、
誰かの違和感を踏みつけることもなく、
それでも、ちゃんと前に進める。
文明は、たぶん完璧には歩けない。
ときどき転ぶし、
ときどき遠回りもするし、
ときどき立ち止まってしまう。
でも、足の声を聞きながら、
全身でバランスを取り直しながら、
また一歩、踏み出していく。
それしかない。
……そんなことを考えながら、
今日はいつもより、足の感覚を少しだけ意識して歩いてみた。
アスファルトの硬さ。
靴底のすり減り。
信号待ちで体重が偏る感じ。
ああ、ちゃんと身体は、いろんなことを教えてくれている。
文明も、きっと同じなんだろう。
ゆっくりでいいから、
転ばずに、歩き続けられますように。

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