1000円着服で退職金「1200万円がゼロ」に思う②

「ゼロ円という数字は、静かに乱暴だ」

前回、
退職金は保険じゃなくて人質に見える、

と書いた。

今日は、
なぜ「ゼロ円」が、
こんなにも雑に見えたのかを、
もう少しだけ考えてみたい。


退職金という言葉の中には、
たぶん、いくつかの意味が
一緒に詰め込まれている。

ひとつは、
その職員が、実際に働いたことに対する功労

時間を使ったこと。
体を使ったこと。
気を張り、ミスをしないように神経をすり減らした日々。
事故を起こさず、遅れず、
当たり前のように業務を回し続けたという事実。

これは、もう過去に起きた出来事だ。
良かった日も、しんどかった日も含めて、
その人が組織の中で確かに働いた、という履歴。

この部分は、
あとから取り消すものではないはずだ。


もうひとつは、
組織の一員としての信頼性

この人に任せて大丈夫か。
公金を扱わせてもいいか。
市民の前に立たせてもいいか。

それまで積み上げられてきた信用。
同時に、一度の行為で傷つくこともある、
とても繊細な部分。

今回の件で、
ここが損なわれた、という評価自体は、
否定できないと思う。

ただしそれは、
すべてが消える、という話とは別だ。


そして三つ目が、
退職したあとの将来保障

働いている間の収入とは違って、
仕事を離れたあとに、
生活が急に崩れないためのクッション。

老後の生活。
次の仕事が見つかるまでの時間。
家族と暮らしていくための最低限の安定。

これは、
「褒美」というより、
社会が不安定にならないための
安全装置に近い。


この三つは、
本来、性格が違う。

  • 功労性:過去に対する評価
  • 信頼性:組織との関係性
  • 生活保証性:未来に向けた生活の土台

それなのに、
今の制度では、
全部がひとつの袋に入っている。

そして、
信頼が傷ついた、
という理由だけで、
袋ごと捨てられる。


信頼は、確かに損なわれた。

公務中に公金を抜いた。
ここは軽く扱えない。

でも、
信頼は0か1じゃない。

一回か。
常習か。
金額は。
隠したか。
影響は。

本来なら、
ここに段階がある。


今の制度は、
信頼が壊れた瞬間、
1bitで判断する。

壊れた。
はい、ゼロ。

この短絡が、
すべてを荒くしている。


もし、

功労は功労として確定させ、
将来保障は最低限守り、
信頼に関わる部分だけを
段階的に減らす。

そういう設計だったら、
今回の話は、
「全部ゼロ」じゃなく、
「象徴的な減額」で終わったはずだ。


さらに言えば、
着服できる構造を選んだのは、
会社側でもある。

セルフレジと同じで、
ロスを含めて回す判断をしていた。

それなら、
責任も、
個人だけに集中させるのは、
少し歪んでいる。


だから僕の中では、
こんな落とし所になる。

過去の功労は消えない。
生活の最低線は守る。
公務員としての重さは、
一般より少し高く評価する。

その分だけ、
高めの過料。

ゼロじゃない。
でも、軽くもない。


ゼロ円という数字は、
厳しさの象徴じゃない。

考えるのをやめた数字だと思う。

段階を作るのは、面倒だ。
説明が必要になる。
設計の話も、出てきてしまう。

だから、
全部ゼロにして終わらせる。

でも、そのやり方は、
人を裁いているようで、
制度への信頼を
静かに削っている。

今日は、
そんなことを考えた。

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