だれしも「嫌な先生」がいるのでは?
だれしも、学校生活のなかで
「嫌な先生」の一人や二人は思い浮かぶのではないだろうか。
怖かった先生。
理不尽だった先生。
何を言っているのか、さっぱり分からなかった先生。
あるいは、こちらの顔も見ずに淡々と授業を進める先生。
卒業してしまえば、
そんな先生のことは、だいたい忘れてしまう。
社会に出て、仕事を覚えて、
日々の生活に追われるうちに、
黒板の前に立っていた大人の姿は、
記憶の奥に沈んでいく。
少なくとも、
思い出したい記憶ではない。
それなのに、ときどき
ふいに浮かび上がってくる先生がいる。
何かを読んでいるとき。
誰かの言葉に、引っかかりを覚えたとき。
あるいは、理由の分からない不安に包まれた夜。
「そういえば、あの先生は……」
そんなふうに、
こちらが意図したわけでもないのに、
記憶の底から浮上してくる存在がいる。
不思議なことに、
それは決まって
当時「好きだった先生」ではない。
むしろその逆で、
授業中は苦手で、
できれば距離を取りたかった先生だったりする。
あのときは分からなかった。
なぜ、あんな言い方をされたのか。
なぜ、あんな題材を選んだのか。
なぜ、あんな空気で授業をしていたのか。
理解できなかったし、
理解しようとも思わなかった。
それなのに、
時間が経ってから、
こちらの人生のどこかで
静かに効いてくる。
まるで遅効性の薬のように。
「嫌だった」という感情だけでは
どうしても説明しきれない何かが、
その先生のまわりには残っている。
教えられた内容を
正確に覚えているわけでもない。
テストで何点を取ったかも関係ない。
それでも、
消えずに残る。
もし「教育」というものがあるとすれば、
それはもしかすると
その場では分からず、
あとから効いてくる何か
なのかもしれない。
この文章は、
そんな「あとから効いてきた先生」の話である。
この文章は、
そんな「あとから効いてきた先生」の話である。
ここではまだ、
その先生を
ただ「N先生」と呼んでおこう。
それで、十分だと思っている。
まずは、
あなた自身の「嫌な先生」を
思い出すところからでいい。

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