YouTubeを見ていると、たまに、
「小さいオジサンが見えるんです」
みたいな話をしている人に出会う。
少し前までのぼくなら、
「それって本当?」
「証拠は?」
と、つい真偽が気になっていたと思う。
でも最近は、
そこを気にすること自体が、
ちょっとズレている気がしてきた。
真偽より先に見るポイントがある
たとえばサンタクロース。
「いるか、いないか」を議論するより、
大事なのは
プレゼントをもらえたかどうか
だったりする。
(まあ、サンタは物理的には確かめようはあるけどw)
小さいオジサンも同じで、
高次元生命体も、
宇宙存在も、
存在の真偽はブラックボックスでOK。
その代わりに、
ぼくは別のところを見る。
チェックするのは、ここだけでいい
もしこれが「霊視鑑定」なのだとしたら、
見るポイントはすごくシンプル。
- その話を聞いたとき、身体はどう反応したか
- 緊張したか、緩んだか
- ペースを奪われたか、自分の軸を保てたか
- 行動は軽くなったか、重くなったか
- 世界の見え方は広がったか、狭まったか
つまり、
「その物語が、
私の身体と人生に
どんな変化(差分)を生んだか」
これだけ。
「プレゼント」があったなら、それは十分
たとえば、どんなに嘘みたいな話だって、
- その話を聞いて楽しかった
- 単純に盛り上がって元気が出た
- 半信半疑でも言われた通りにしたら、案外うまくいった
これは全部、
立派な“ギフト”。
オジサンが実在したかどうかは、
そのギフトの価値を減らさない。
鑑定的に言えば、
差分がプラスなら合格。
逆に「危ない兆候」も、かなり分かりやすい
一方で、こうなり始めたら要注意。
- いるかいないかの議論にハマる
- 人を攻撃し始める
- 不安や恐怖が強まる
- その話が気になって、現実の行動が止まる
これはもう、
真偽以前に「赤信号」。
どんな立派な言葉でも、本当に小さいオジサンが教えてくれた話であっても、
人生が狭くなるなら、
鑑定的にはアウト。
「高次元生命体」は、説明用のラベルかもしれない
小さいオジサン
宇宙存在
龍
過去生
スターシード
守護霊
こういう言葉は、
身体で起きている微細な変化を
一時的に扱うための比喩
なのかもしれない。
言葉にしづらい感覚を、
とりあえず物語として置いてみる。
それでいい。
だから、ぼくのスタンスはこう
- 否定しない
- でも、のめり込まない
- 楽しめる
- そして、ちゃんと戻ってくる
鑑定的に言うなら、
「信じるかどうか」ではなく
「使った結果、どうなったか」を見る
それだけ。
今日のまとめ
オジサンがいるかどうかは、
正直どうでもいい。
大事なのは、
その物語が
私を自由にしたか
不自由にしたか
その差分だけ。
世界には、
面白い物語がたくさんある。
だからこそ、
世界に余白を残したまま、
自分の身体の反応だけは
ちゃんと記録しておきたい。
そんなことを考えた、今日の日記。

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