AI時代になぜ過去の著作が重要になるのか

――たっくんから見た「文章の価値」の話――

理論は一気に「カンスト」した

AI時代に入って、文章は爆発的に増えた。

とくに理論・構造・メタ認知の領域では、人類が数百年かけて積み上げてきたものが一気に可視化され、再配置され、ほとんど「カンスト」に近い状態になっているのではと感じる。

概念整理、枠組み化、統合理論――。

このあたりは、もはや「新しさ」そのものが価値を持ちにくくなった。

それはそれで人々の生活をある意味で豊かに、便利に、快適にしていくだろう。

だが同時に、強い違和感も立ち上がってきた。

AI文章はなぜ軽いのか

AIが生成する文章は、正確で、網羅的で、美しい。

しかし多くの場合、それは「身体を通っていない」。

「老い」をしらない

「失敗」をしらない

「疲労」しない

「何度でもやり直せる」

つまり、AIの言葉は、身体による「この世での耐久テスト」を一度も受けていないのだ。

それは一休さんの「屏風の虎」のように、「概念としての恐怖感」や「迫力」はあれど、屏風から出てきて、我々の身体を実際に噛みちぎることは決してない。

なぜ過去の著作が重要になるのか

過去1000年の思想や著作は、単にレアで、骨董的で、アンティークとしての価値がある、というだけのものではない。

それらは、 病気、貧困、迫害、誤解、老い、孤独―― そうした条件の中で書かれ、 さらに後世の無数の身体に読まれ、試され、ふるいにかけられてきた。

何度も過去に実際に存在した人間が、身体を壊しかけながら、それでも残った言葉

それが、いまも生き延びている理由だ。

身体の検閲を通らない言葉は、文明を支えない

どれほど論理的に正しくても、 どれほど美しく整っていても、 身体のリズムや回復力と接続できない言葉は、長期的には人間の生活を支えられない。

AIがどれほど進化しても、 人間が「老いる速度」「回復の遅さ」「取り返しのつかなさ」は、 身体を持たない存在には再現できない。

だからこそ、 過去1000年分の文献と同じレベルの言葉を生み出すには、 これからも、一語一語、人体を通して熟成させ醗酵させる時間が必要になる。

AIが0.01秒間に100万本の論文を生成できる時代になろうとも、人間の身体がそれを醸すスピードは変わらないだろう。

「現覚」の重要性

もちろん、AIを否定したいわけではない。

AIは最強の「論理の増幅装置」であり、 同時に、人間の思考を加速させる触媒でもある。

重要なのは、 AIの生成物をそのまま信じることではなく、 身体検閲を通すこと

私はこの身体による検閲のことを「現覚(げんかく)」と呼んでいる。

人間(身体)+AI(構造)+検閲(現覚)―― この組み合わせだけが、次の1000年に耐える言葉を生む。

結びにかえて

AI時代において、 新しい言葉は無限に生まれる。

だが、残る言葉は少ない

それらはきっと、 誰かの生活を通り、 身体を壊しかけ、 それでも回復し、 なお使われ続けた言葉だろう。

派手ではない。 評価も遅い。

学問にも、科学にも、マスコミにも、世間にもどこにも居場所がない。

それでも、 居場所のない言葉ほど、 長く残るのではないだろうか。

そう信じてたっくんは、 そのための足場を、 今日も静かに整えている。

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