最近、AIが書く文章をたくさん読むようになって、 ずっと頭の片隅に引っかかっている感覚がある。
正確だし、速いし、理路整然としている。
理論や構造の話だけを見れば、人類が何百年もかけて積み上げてきたものを、一気に見晴らしのいい場所に運んでくれたようにも感じる。
それなのに、 なぜか身体の奥が静かになる。
興奮もしないし、怒りも湧かない。
ただ、どこか俯瞰しているというか、「軽い」という感触だけが残る。
その理由を、ぼんやり考えていた。
AIの文章は「老いていない」
最初に浮かんできた言葉が、これだった。
AIの文章は、老いていない。
これは、年齢の話ではない。 若いか古いか、経験が多いか少ないか、という意味でもない。
ここで言っている「老い」とは、 自分の意思や努力ではどうにもならない変化のことだ。
- 反応が少しずつ遅くなる
- 回復に時間がかかるようになる
- 昨日できていたことが、今日はできない
そうした変化は、 正しさや論理では押し返せない。
身体が、時間に負け始める感覚。
人間は、それを引き受けながら生きていく。
老いを通った言葉の手触り
老いを通った人の言葉には、 いくつか共通した特徴があるように思う。
- 断言が減る
- 言い切りが少なくなる
- 「余白」が増える
「こうすればうまくいく」より、 「それでも、こうするしかなかった」という言い方になる。
そこには、 思考の鋭さとは別の、 時間に削られた丸みがある。
AIの文章には、この丸みがない。
常に完璧で、 常に即応で、 常に最新で劣化しない。
だから、読む側の身体も、 どこにも引っかからずに通り抜けてしまう。
老いは欠陥ではなく、検閲だった
老いるということは、 能力が下がることではない。
むしろ、 この現実の世界では「人間の肉体や寿命ではどうしたって無理」なこと、
続かないやり方、 過剰な理想を、 静かに削ぎ落としていくプロセスだ。
老いは、 身体による「検閲装置」のひとつなのかもしれない。
その検閲を通った言葉だけが、 長く人の生活に接続できる。
今日は、ここまで
今日は、まず一つだけ。
AIの文章が軽く感じられる理由の一つは、 それが「老い」を通っていないからだと思う。
正しいかどうか、 役に立つかどうか、 それとは別の次元で、 身体がそう感じている。
次は、 「失敗していない」という点について書いてみたい。
これは、また別の重さの話になる。

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