AIが書いたか、人が書いたかは問題じゃない
たっくんは、ずっとこう思ってきた。
その文章が
AI生成だろうが、人間生成だろうが、
それを世界に出すことで生じるすべての善悪、正負、あらゆる影響を、
自分が引き受ける覚悟があるなら、同じだと。
炎上するかもしれない。
誤解されるかもしれない。
誰かを傷つけるかもしれないし、
逆に、思いがけず誰かを支えてしまうかもしれない。
それら全部を、
身体と、たっくん自身の現実の残り時間を削って引き受ける
その覚悟があるなら、
「誰が書いたか」は本質じゃない。
だから、理想形はこうなる
最終的には、こんな未来を思い描いている。
「このニュースで、ベクトラブのブログ記事一本!」
そう注文すれば、
ほとんど手直しのいらない文章が出てくる状態。
でも、それは魔法じゃない。
そこに至るまでには、
- 一つ一つの記事をベクトラブにアップロードしてきた積み重ねがあり
- その文脈や癖や温度を、場として育ててきた時間があり
- たっくん自身の思考・違和感・判断を、何度も突き合わせてきた過程がある
AIが突然「完成形」を出すわけじゃない。
積み重ねを参照し、思考をトレースした結果として、
限りなく完成に近い草稿が出てくるだけだ。
最後に決めるのは、身体
どれだけ完成度が高くても、
最後は必ず、たっくんが読む。
目で読んで、
身体で味わって、
「うん、これなら引き受けられる」と納得してから、アップロードする。
納得できなければ、やり直し。
そこに遠慮はない。
だから、たっくんの中のイメージはこうだ。
極めて自分自身に近く、
一瞬で仕事を終わらせる部下を持っている
ただし、
指示内容と、決裁権は譲らない。
これからの時代の「優秀さ」とは何か
ついでに、最近よく考える。
これからの時代に「優秀な人」がいるとすれば、
それはどんな人だろうか。
たっくんの今の答えは、わりとシンプルだ。
いかにAIに「自分自身」をトレースできたか
そして、そこから現実に向けて、自己責任で何を引き出すか
AIの中に
「自分そっくりの思考」を作ること自体がゴールじゃない。
そこから、
- 何を外に出すか
- 何を出さないか
- 何を引き受けるか
を決めるのは、人間側の仕事だ。
決裁は、人間に残る
AIは、考える速度を何百倍にもしてくれる。
でも、
- 出すかどうか
- その結果を生きるかどうか
を決めることはできない。
それを引き受ける身体と時間を持っているのは、
今のところ、人間だけだ。
だからベクトラブでは、これからもこの形を続ける。
AIは、極めて優秀な部下。
決裁と責任は、たっくんが持つ。
それでいい。
それがいい。

コメント