落ち着いて考えられない席に移って分かったこと
最近、庁舎内で席が変わった。
それまでは、パーテーションに囲まれた配置だった。
正面の人と視線が合うことはなく、背中側もロッカーで塞がれている。
人の往来は少なく、音も限定的だった。
新しい席は、まったく違う。
パーテーションはなく、
100人以上が一つの大きな空間に収まっている。
誰がどこに座り、どんな表情で話しているかが、
そのまま視界に入ってくる。
背中側も壁ではない。
職員同士が背を向けて並んだ椅子の間、
50センチもない隙間を縫うように、人がひっきりなしに通る。
足音。
衣擦れ。
立ち止まる気配。
急にかかる声。
数日で、はっきり分かったことがある。
全然、落ち着いて考えられない。
仕事はできる。でも、考え続けられない
誤解のないように言うと、
仕事ができない、という話ではない。
書類は書ける。
電話にも出られる。
会話も成立する。
ただ、
「一つの問いを頭の中に置いたまま、じっと考え続ける」
あの感覚が、ほとんど起きない。
思考が始まる前に、
視線、音、気配が割り込んでくる。
考えが育つ前に、次の刺激が来る。
この感覚は、きっと多くの人に心当たりがある。
カフェで、隣の席の会話が気になり続けるとき。
家で、テレビがついたまま考えごとをしようとしたとき。
スマホの通知が、一定間隔で割り込んでくるとき。
集中できないのは、意志の弱さではない。
環境の設計の問題だ。
地方公務員は「考えにくい条件」が揃いすぎている
そこで、ふと思った。
窓口対応。
電話対応。
頻繁な異動。
残業禁止で削られていく「静かに考える時間」。
地方公務員の仕事は、
落ち着いて思考できない条件が、最初から揃いすぎている。
自治体職員として働く中で、
いくつもの部署、立場、場面を通過してきた。
その中で積み重なってきたのは、
「なんでやねん」としか言いようのない違和感だった。
制度、計画、補助金、税、窓口、説明、調整。
どれも一つひとつは理由があり、合理性もある。
でも、それらが重なったとき、
現場で働く人間の思考や体力、感情が、
静かに、しかし確実に削られていく。
これまで触れてきたテーマも、すべてその延長線上にある。
- 国と自治体の関係
- 計画策定と補助金の仕組み
- 税源配分と摩擦の押し付け合い
- 窓口や電話対応が奪う「見えないリソース」
- 国・自治体・住民が絡み合う相互依存の構造
どれも、一記事では書ききれない。
だから今日は、深くは踏み込まない。
それらは、また別の記事で、
断面ごとに残していけばいい。
全貌は見えない。でも、断面は残せる
制度は、人一人の人生よりも長い時間で動いている。
その全体像を、誰か一人が見渡すことはできない。
だからといって、
全貌が見えないから、意味がない
わけではない。
むしろ、そうではない。
全貌が見えないからこそ、
見えた範囲を歪めずに残すことに価値がある。
自分が通過した場所。
立った位置。
そのとき感じた違和感。
それらまで無意味になるわけではない。
全貌は見えない。
それでも、見えた断面を歪めずに言葉にすることはできる。
今日は、そのための足場として、
この言葉だけを、ここに置いておく。
一人で制度を完成させることはできない。
正解を出し切ることもできない。
それでも、
都合よく単純化せず、
無理に物語にせず、
見えた景色をそのまま記録していく。
この文章は、そのためのログだ。

コメント