第6章 身体の仕事は止められない
――止められないから、押し付けられてきた
前章5 これは保険ではない──人質であるでは、
退職金という制度が、
保障や評価ではなく、
人を縛る「人質」として機能している可能性を見た。
この章では、
なぜそのような制度が、
特に身体を使う仕事に集中しやすいのかを考える。
鍵になるのは、
「止められない」という性質だ。
身体を使う仕事は、
止めることができない。
道路は、毎日使われる。
バスは、走らなければならない。
介護は、待ってくれない。
工場は、人の手がなければ止まる。
これらの仕事は、
社会の「裏側」ではない。
むしろ、
社会が社会として存在するための前提だ。
それにもかかわらず、
こうした仕事は、
しばしば「現場の努力」に
委ねられてきた。
人が足りなければ、
残業で補う。
仕組みが不完全なら、
工夫でカバーする。
想定外が起きたら、
現場で何とかする。
この「何とかする」は、
制度にとって、とても都合がいい。
なぜなら、
身体はすぐには壊れないからだ。
多少の無理をしても、
疲れていても、
痛みがあっても、
人はしばらく動いてしまう。
責任感。
慣れ。
我慢。
そうしたものが、
身体の限界を一時的に
押し広げる。
だがこれは、
強さではない。
壊れるまでの時間が長い
というだけだ。
骨が折れるまで、
心が折れるまで、
生活が破綻するまで、
動いてしまう。
その時間差が、
制度に錯覚を与える。
「まだ大丈夫だ」
「回っている」
「問題は起きていない」
こうして、
制度は気づかないまま、
負荷を集めていく。
人を増やさない。
仕組みを変えない。
コストをかけない。
その代わりに、
現場の身体に
余白を削らせる。
身体を使う仕事は、
分断されやすい。
職場ごと。
地域ごと。
職種ごと。
一人ひとりが、
「自分の持ち場」を
何とか回している。
横につながりにくく、
声も集まりにくい。
その一方で、
制度やルールは、
一か所で決められる。
結果として起きるのは、
こうした構図だ。
- 決める側は止まれる
- 実装する側は止まれない
頭脳は判断を先送りできるが、
身体は今日も動かなければならない。
この非対称性が、
負荷の集中を生む。
今回のバス運転手の件も、
この流れの中にある。
運行は止められない。
人手は足りない。
コストは増やせない。
だから、
「信頼」によって回す。
そして、
その信頼が破れた瞬間、
個人が一気に切り捨てられる。
ここで重要なのは、
これは悪意の話ではない、
ということだ。
制度は、
効率的に回ろうとしただけだ。
だが、
止められない身体を前提にした効率化は、
必ずどこかで歪む。
身体は、
社会の安全弁でもある。
だが同時に、
社会が自分の無理を
見ないで済むための
緩衝材にもなってしまう。
それが限界に達したとき、
はじめて「問題」として
認識される。
次章7 頭脳に血が集まりすぎた社会では、
この「身体に負荷が集まる構造」が、
より大きな経済の流れの中で、
どのように固定化されてきたのかを見る。
焦点は、
頭脳に血が集まりすぎた社会だ。
なぜお金と権力は、
動かない場所に
集まり続けるのか。
その歪みを、
人体の比喩を使いながら
考えていく。