――「何もしない」という行為が罪に変わるとき
1. 非共感者は、最初は問題にされていない
非共感者は、最初から敵ではない。
- 空気を読まない
- 先回りしない
- 頼まれていないことはやらない
こうした振る舞いは、
多くの場では「そういう人」として受け流されている。
むしろ初期段階では、
- 無理をしない人
- ドライな人
- 境界線がはっきりしている人
として、暗黙に許容されている。
この時点では、
誰も困っていない。
2. 問題が顕在化するのは「共感者が限界に近づいたとき」
転機は、非共感者ではなく、
共感性の高い人が疲弊し始めた瞬間に訪れる。
- いつも動いていた人が疲れている
- でも場は止められない
- 誰も役割を再設計していない
ここで場は、
「構造を変える」か
「誰かを悪者にする」か
の二択に直面する。
構造を変えるのは手間がかかる。
話し合いが必要で、
責任の所在が露わになる。
だから多くの場は、
後者を選ぶ。
3. 悪者は「一番動いていない人」になる
このとき、
最も分かりやすい対象が浮かび上がる。
- 何もしていない
- 断ってもいない
- でも助けてもいない
つまり、
非共感者だ。
ここで、
行為の評価軸が静かにすり替わる。
❌「誰が役割を担っているか」
⭕「誰が一番動いていないか」
こうして、
非共感者は“比較対象”として悪者にされる。
4. 非共感者は、構造の限界を露呈させた存在
重要なのはここだ。
非共感者は、
- 場を壊したわけではない
- 役割を放棄したわけでもない
- 約束を破ったわけでもない
ただ、
場の期待に応えなかっただけだ。
しかしその「応えなさ」が、
この場は、誰かが無理をしないと成立しない
という真実を、
はっきり可視化してしまう。
その瞬間、
場は自分自身の設計不備を突きつけられる。
5. 構造を責められないとき、人は人を責める
設計の欠陥を認めることは、
心理的にとてもコストが高い。
- 誰が責任者だったのか
- なぜ役割を決めなかったのか
- なぜ善意に依存していたのか
これらを直視する代わりに、
人はより簡単な説明を選ぶ。
あの人が冷たいから
協力しないから
自分勝手だから
こうして、
構造の問題が人格の問題に転嫁される。
6. 非共感者が悪者にされた瞬間、起きていること
この瞬間に起きているのは、
- 正義と悪の分断
- 共感 vs 非共感という対立
- 「ちゃんとしている人」同盟の成立
だが実際には、
- 共感者も
- 非共感者も
どちらも、
構造の犠牲者である。
共感者は削られ、
非共感者は悪者にされる。
唯一、守られるのは
曖昧な場のままの構造だ。
7. 非共感者は「敵」ではなく「境界線」
非共感者は、
冷酷だから動かないのではない。
- 役割がない
- 契約がない
- 依頼が明確でない
から、動かないだけだ。
彼らは、
「それは、私の仕事ではない」
という境界線を、
無言で提示している存在でもある。
その境界線が見えたとき、
場は問われる。
- この仕事は誰のものか
- それは本当に必要か
- 無理を前提にしていないか
8. 悪者探しが始まった場の末路
非共感者が悪者にされた場では、
- 共感者はさらに疲弊し
- 非共感者は距離を取り
- 新しい人は入らなくなる
そして最終的に、
- 崩壊
- 固定化
- 内輪化
のいずれかに向かう。
これは、
健全な場のサインではない。
終わりに
非共感者が悪者にされた瞬間、
その場はもう
「誰かの優しさ」で保たれている。
問題は、
非共感者が冷たいことではない。
冷たさが必要になるほど、
場の設計が歪んでいること
だ。
非共感者は敵ではない。
彼らは、
「ここで無理をしてはいけない」
という限界線
を、最も正直に示している存在である。
そのサインを無視し、
悪者を作り始めたとき、
場は静かに終わりへ向かう。