自由とは、
選べることだ。
そう教わってきた。
選択肢が多いほど、
人は幸せになれる――
少なくとも、そう信じられてきた。
けれど今、
私たちは奇妙な状態にいる。
選べるはずなのに、動けない。
現代社会は、
かつてないほど選択肢に満ちている。
・生き方
・働き方
・価値観
・人間関係
・情報
・正しさ
何を選んでもいい。
何者になってもいい。
なのに、
「自分で決めている感じ」がしない。
この矛盾は、
意思が弱くなったからではない。
構造の問題だ。
選択肢が増えすぎると、
人は選ばなくなる。
正確には、
選ぶ前に、疲れてしまう。
本来、選択とは
エネルギーを伴う行為だ。
比較し、
予測し、
責任を引き受ける。
ところが選択肢が過剰になると、
このエネルギー消費が跳ね上がる。
結果、
人はこうなる。
・正解を探す
・誰かの判断に委ねる
・空気を読む
・選ばないことを選ぶ
ここで重要なのは、
自由が消えたわけではない
という点だ。
自由は、
過剰に与えられた。
そして、
扱えなくなった。
現代人の多くは、
硬直している。
・何をしたいかわからない
・選ぶのが怖い
・間違えたくない
これは怠惰ではない。
選択過多による麻痺だ。
さらに問題なのは、
選択の結果が
すぐに評価されることだ。
SNS、レビュー、数字、比較。
選んだ瞬間から、
測定が始まる。
すると選択は、
自由な行為ではなくなる。
審査へのエントリーになる。
ここで多くの人は、
無意識にこう考える。
「自分で何を選ぶかを決めたいけれど、
洗濯の失敗の責任は負いたくない」
このねじれが、
自己不信を生む。
選択肢が多すぎる社会では、
自由意思は弱まる。
なぜなら、
自由とは
選択肢の数ではなく、
引き受けられる重さだから。
本当に自由な選択は、
実は少ない。
・今日はここにいる
・この人と話す
・これはしない
この程度でいい。
選択肢を減らすことは、
逃げではない。
自由を回復する技術だ。
選ばない勇気。
保留する余白。
小さな決断。
それらが積み重なって、
ようやく人は
「自分で生きている」
という感覚を取り戻す。
自由は、
与えられるものではない。
削って、残るものだ。