――「場を回す力」が見えなくなる構造
1. 評価されないのは「足りない」からではない
責任を引き受け続けた人が、ふと気づく瞬間がある。
- 誰も見ていない
- 誰も覚えていない
- 誰も気にしていない
自分が抜けた途端に場が止まるのに、
止まって初めて「いたこと」が意識される。
ここで多くの人は、
こう誤解してしまう。
自分のやり方が悪かったのではないか
もっとアピールすべきだったのではないか
しかし、評価されない理由は
能力や姿勢の不足ではない。
それは、
構造上、評価されにくい役割を引き受けていた
というだけの話だ。
2. 評価は「変化」にしか反応しない
集団における評価は、
次のものに強く反応する。
- 新しい成果
- 目に見える変化
- トラブルの解決
- 派手な成功
一方で、
次のものにはほとんど反応しない。
- 何も起きなかったこと
- 混乱が未然に防がれたこと
- 日常が滞りなく続いたこと
責任を引き受ける人の仕事は、
多くの場合、後者だ。
つまり彼らは、
評価のセンサーが反応しない仕事
を引き受けている。
3. 「場が回っている」は成果として認識されない
責任を引き受ける人は、
- 期限を管理し
- 情報を整理し
- 人数を調整し
- トラブルを先回りして潰す
こうした行為によって、
場を「普通」に保っている。
しかし場が普通である限り、
人はそれを自然現象として受け取る。
いつもそうだから
そういうものだから
ここで起きているのは、
成果の自然化だ。
成果が自然化されると、
それは「誰かの仕事」ではなくなる。
4. 責任を引き受ける人は「目立たない位置」に立つ
もう一つの理由がある。
責任を引き受ける人は、
意図的に目立たない位置に立つ。
- 混乱を前面に出さない
- 自分の苦労を共有しない
- 場の雰囲気を優先する
これは美徳でもあるが、
同時に評価の可視性を自ら下げる行為でもある。
結果として、
派手に何かをした人
声の大きい人
「やった感」を出せる人
のほうが、
評価されやすくなる。
5. 「一度引き受けた人」は前提条件になる
責任を引き受け続けると、
次の転換が起きる。
「この人がやる」
→
「この人がやるのが前提」
前提条件になった瞬間、
その人の行為は評価対象から外れる。
評価されるのは、
- 新しくやった人
- たまに手伝った人
- 代替的に入った人
になる。
皮肉だが、
継続性は評価を消す
6. なぜ「やっていない人」が責められないのか
同時に、
責任を引き受けない人は責められにくい。
なぜなら、
- 何も約束していない
- 役割を名指しされていない
- 断っていない
からだ。
構造上、
責任を引き受けない人は
失敗していないことになる。
一方で、
引き受けた人だけが、
- 遅れた
- 忘れた
- 抜けた
という形で、
失点を抱える。
7. 評価されないのは、搾取されているサインでもある
ここで重要な視点がある。
責任を引き受けているのに、
評価も感謝もなく、
代替も用意されない。
これは、
「信頼」ではなく
「依存」である。
信頼は、
代替可能性とセットで存在する。
依存は、
「いなくなると困る」ことを前提にする。
評価されないまま責任だけが増えるなら、
その場はすでに
健全な関係性を超えている。
8. 評価されるべきものは「人」ではなく「役割」
本来、評価されるべきなのは、
- 誰がやったか
ではなく、- 何が行われたか
であり、
- 性格
ではなく、- 役割
である。
責任を引き受ける人が評価されない場は、
役割が人格に吸収されている。
だから、
「あの人だからできる」
という言葉が、
最大の賛辞であると同時に、
最大の罠になる。
終わりに
責任を引き受ける人が評価されないのは、
その人が足りないからではない。
場が、その価値を測定する目を持っていない
ただそれだけだ。
評価されない場所で、
自分の価値を証明し続ける必要はない。
責任を引き受ける力は、
本来、もっと健全な場所で
使われるべき能力だ。
そしてそれを手放すことは、
敗北ではなく、
適切な移動である。