― 抽象に逃げると、説明責任が消える
何かおかしい、と感じたことはないだろうか。
占いや霊視鑑定などスピリチュアルな場で、
「それは龍がついているからです」
「宇宙の流れがそうなっているんです」
と言われたとき。
あるいは、役所や大きな組織で、
「法律で決まっているので」
「前例がないので」
「そういうルールですから」
と説明されたとき。
言われていること自体は、
一応“理由”の形をしている。
でも、なぜか納得できない。
質問しようとすると、空気が固まる。
それ以上、踏み込めない感じがする。
この違和感は、
気のせいではない。
抽象は、強力な「盾」になる
「龍が」「宇宙が」「法律が」「ルールが」。
これらに共通しているのは、
主語が大きすぎるという点だ。
大きな主語は、
それ自体が間違っているわけではない。
ただし、
それを理由にした瞬間、
あるものが消える。
それが、説明責任だ。
「龍がそう言っている」
「法律で決まっている」
そう言われると、
個別の状況や、具体的な理由を、
これ以上聞きづらくなる。
なぜそうなのか。
どこまでが確定で、どこからが解釈なのか。
別の可能性はないのか。
そうした問いを差し挟む余地が、
抽象の一言で、塞がれてしまう。
これは偶然ではない。
なぜ人は、抽象に逃げるのか
説明者が抽象に逃げる理由は、単純だ。
具体に降りると、責任が発生するから。
具体的に話すということは、
- 条件を示す
- 例外を認める
- 間違う可能性を引き受ける
ということでもある。
「この場合はこうだと思う」
「今の状況だと、ここがネックだ」
「別のケースでは違うかもしれない」
こうした言い方は、
誠実だが、脆い。
突っ込まれる。
修正を求められる。
場合によっては、否定される。
だから、
人は無意識に、
反論しづらい高さへ登る。
抽象は、
安全地帯でもある。
具体性は、勇気がいる
ここで大事なのは、
「スピリチュアルが悪い」
「役所が悪い」
という話ではない。
問題は、
具体を出さないことが、偉そうに見える構造
そのものだ。
本当に力のある助言や説明は、
たいてい地味だ。
状況を聞く。
条件を分ける。
分からないところは、分からないと言う。
派手さはない。
でも、身体は緩む。
なぜなら、
具体性には、
「一緒に考る姿勢」が含まれているからだ。
抽象は、
上から見下ろす形になりやすい。
具体は、
同じ地面に立つ。
この違いは、
聞き手の身体に、はっきり現れる。
質問していい、突っ込んでいい
もしあなたが、
「それって、具体的にはどういうことですか?」
と聞きたくなったのに、
聞けなかった経験があるなら。
そのとき、
あなたの感覚は、たぶん正しい。
質問できない雰囲気は、
理解が足りないからではなく、
説明が抽象に逃げているサインだ。
本当に誠実な説明は、
質問を歓迎する。
「そこ、分かりにくかったですね」
「もう少し噛み砕くと――」
そうやって、地面に降りてくる。
逆に、
質問した瞬間に、
相手の態度が固くなるなら、
そこには触れられたくない何かがある。
それを見抜く力は、
特別な知性ではない。
第2章で触れた、
身体の違和感が、すでに教えている。
違和感を、引き取っていい
抽象的な説明を聞いて、
- モヤっとした。
- 納得したフリをしてしまった。
- あとから、どっと疲れた。
そういう経験があるなら、
それはあなたが鈍いからではない。
むしろ、
ちゃんと感じていた証拠だ。
この章で言いたいのは、
「抽象をすべて疑え」ではない。
ただ、
抽象が出てきたときほど、
身体の反応を確認してほしい。
フッと緩むか。
それとも、詰まるか。
次の章では、
なぜ私たちの身体感覚が、
「ストレス」「体調不良」といった
雑な言葉に圧縮されてしまったのか。
そして、
それがどれだけの情報を失っているのかを、
もう少し丁寧に見ていく。
違和感は、
面倒なものではない。
雑に扱わなければ、
ちゃんと使える道具になる。