愛とは、何かをしないこと

愛という言葉は、
あまりにも多くの意味を背負わされている。

情熱。
献身。
優しさ。
犠牲。

けれど、
ここ、ベクトラブで扱いたい愛は、
それらとは少し違う。


愛は、
何かをすることではない。

むしろ、

何かを、しないこと

に近い。


助けられるときに、
助けないこと。

正せるときに、
正さないこと。

言えるときに、
言わないこと。


一見すると、
冷たく見えるかもしれない。

だがここには、
非常に高度な判断が含まれている。


愛とは、

他者の自由意思が
そこに「生きている」と信じて、
こちらから手を出さないこと

だ。


人は、
誰かの可能性を見ると、
つい介入したくなる。

「こうしたほうがいい」
「そっちじゃない」
「間違っている」

善意ほど、
手が伸びる。


だが、
その手はときに
相手の未来を奪う。


愛が難しいのは、
結果が見えないからだ。

介入すれば、
何かが変わった気がする。

何もしなければ、
何も起きていないように見える。


しかし実際には、
何もしないことでしか
守れないものがある。


それは、
相手が自分で選ぶ権利だ。


愛は、
相手の成長を
自分の成果にしない。

相手の回復を
自分の手柄にしない。


だから、
愛は報われないことが多い。

称賛もない。
感謝もない。

ときには、
誤解される。


それでも愛が成立するのは、
一つの前提があるからだ。

人は、自分で選んだときにしか、
本当に生きられない


愛とは、
その事実を
最後まで尊重する態度だ。


何もしないことは、
無関心とは違う。

むしろ、
深く見ているからこそ
動かない。


介入しない。
操作しない。
誘導しない。

ただ、
選べる状態を残す。


それが、
愛の最低条件であり、
最も難しいところでもある。

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