小さな暴力と、大きな沈黙

暴力と聞くと、
多くの人はまず
殴る、蹴る、傷つける
といった行為を思い浮かべる。

けれど、
現実に世界を歪めている暴力の多くは、
もっと静かで、
もっと小さい。

ほとんどの場合、
声も上がらない。


たとえば、
・相手の話を最後まで聞かない
・都合のいい部分だけを解釈する
・反論できない立場を利用する
・「正しいこと」を盾に押し切る

これらは、
日常の中に溶け込みすぎていて、
暴力として認識されない。

けれど確実に、
誰かの自由意思を削っている


小さな暴力の特徴は、
本人に自覚がないことだ。

むしろ、
善意で行われることが多い。

「あなたのため」
「組織のため」
「正しい方向だから」

この言葉が添えられると、
暴力は一気に見えなくなる。


一方で、
沈黙がある。

何も言わない。
何もしない。
関わらない。

この沈黙は、
冷たさや無関心と
誤解されやすい。

だが、
沈黙の中には
まったく別の性質のものがある。


それが、
大きな沈黙だ。

大きな沈黙とは、
影響力を持つ立場にありながら、
それを行使しない選択のことだ。

言えば通せる。
動けば変えられる。
それでも、
あえて踏み込まない。


小さな暴力は、
「やれるからやる」。

大きな沈黙は、
「やれるけどやらない」。

この違いは、
見た目ではほとんど分からない。

だが、
世界への作用は正反対だ。


小さな暴力は、
じわじわと世界を歪める。

抵抗できない人ほど、
深く傷つく。

そしてその歪みは、
やがて
「空気」
「常識」
「仕方ないもの」
として固定される。


大きな沈黙は、
すぐには何も変えない。

だから評価されない。
称賛もされない。

だが、
自由意思が残る。

余白が残る。

選ばなくていい暴力を
選ばなかった痕跡が、
世界に残る。


多くの争いは、
声が大きい側が勝つ。

だがそれは、
正しさの勝利ではない。

影響力の行使に
歯止めがなかった

というだけのことだ。


成熟した社会とは、
小さな暴力が減り、
大きな沈黙が増える社会だ。

行動しないことが、
逃げではなく、
責任として理解される社会だ。


沈黙は、
無力の証ではない。

構造を見た者が、
それでもなお
踏みとどまった証だ。

タイトルとURLをコピーしました