――なぜ「鈍感さ」は必要悪ではなく、機能なのか
1. 「非共感者」という言葉が抱える誤解
「非共感者」という言葉には、
どこかネガティブな響きがある。
- 冷たい
- 自分勝手
- 空気が読めない
- 他人に興味がない
しかし、ここで扱う「非共感者」とは、
人格評価の話ではない。
それは、
共感の感度が低い、あるいは選択的である人
という、認知特性の話だ。
2. 共感性の高低は「善悪」ではなく「分業」
人間社会には、大雑把に言って
二つの傾向が存在する。
- 共感性が高い人
- 共感性が低い(または限定的な)人
これは優劣ではない。
役割分化である。
共感性が高い人は、
- 場の歪みを察知する
- 他者の感情を立体的に感じる
- 先回りして痛みを避けようとする
非共感者は、
- 空白を空白のまま放置できる
- 他者の事情を必要以上に背負わない
- 自分の関与範囲を明確に保つ
どちらか一方だけでは、
社会は成立しない。
3. 非共感者が担っている「見えない役割」
非共感者は、しばしば批判される。
しかし実際には、彼らは次の機能を担っている。
① 責任の過剰集中を防ぐ「抵抗体」
非共感者は、
- 「自分の仕事ではない」
- 「頼まれていない」
- 「今日は無理」
を比較的容易に言える。
これは、
責任が勝手に集約されるのを止める力でもある。
共感性の高い人だけの場では、
このブレーキが存在しない。
② 場の限界を可視化する存在
非共感者が動かないとき、
- 予約が取れない
- 誰も手続きをしない
- イベントが成立しない
という事態が起きる。
これは怠慢ではなく、
「この場は、誰か一人の善意なしでは成立しない」
という事実を、
外在化している。
③ 感情と機能を切り分ける装置
非共感者は、
- 申し訳なさ
- 空気
- 罪悪感
よりも、
- 役割
- 契約
- 条件
を優先しやすい。
これは冷酷さではなく、
機能設計に近い思考だ。
4. なぜ共感性搾取は、非共感者を温存するのか
皮肉なことに、
共感性搾取が起きている場では、
- 非共感者は責められにくく
- 共感性の高い人が消耗する
という逆転現象が起きる。
理由は単純だ。
非共感者は最初から期待されていない
共感者は「期待に応えてしまう」
期待が向く先に、
負荷が集まる。
非共感者は、
構造的に安全圏にいる。
5. 非共感者が「悪者」にされるとき、場は壊れる
共感性の高い人が疲弊しきると、
次に起きやすいのがこれだ。
- あの人は冷たい
- 協力しない
- 無責任だ
非共感者の人格批判が始まる。
しかしこれは、
構造の問題を個人に転嫁しているだけだ。
非共感者を責めても、
- 共感者の負担は減らない
- 場の設計も変わらない
結果として、
さらに疲弊が進む。
6. 健全な場における「共感」と「非共感」
健全な場では、
両者の役割が明確に分かれている。
- 共感は、感情理解として機能する
- 非共感は、境界線として機能する
ここでは、
- 共感性の高い人が消耗しきらず
- 非共感者が責任逃れもしない
なぜなら、
- 役割が名指しされ
- 責任が可視化され
- 断る自由が制度化されている
からだ。
7. 共感性搾取の本当の問題点
問題は、
- 共感性が高いこと
でも - 非共感であること
でもない。
問題は、
共感と非共感が、
場の設計として使い分けられていないこと
だ。
共感性の高い人にだけ、
場の維持を委ねるのは、
設計ミスである。
終わりに
共感性の高い人が削られ、
非共感者が生き残る社会は、
一見すると不公平に見える。
しかし実際には、
- 共感を無限資源として扱い
- 境界線を制度化しなかった
ツケが回ってきているだけだ。
非共感者は敵ではない。
彼らは、
「ここから先は、あなたの仕事ではない」
という境界線を、
無言で示している存在でもある。
共感性を守るためには、
非共感を排除するのではなく、
構造として組み込む必要がある。